UNICEF CAMBODIAの代表として、妻として、母として、家庭と仕事を両立する秘訣とは?
ここで、坂井スオミさんが現職に至った経歴について、触れてみたい。
浜松医科大学に在学中、アメリカ公衆衛生学会の会報で、(米国で)“国際保健“という概念と学業分野を創り上げた、ジョンズ・ホプキンズ公衆衛生大学院教授、カール・テイラーさんの記事を読んだことが、坂井さんがこの道に入ったきっかけとなった。日本には、まだ”国際保健”という用語もあまり知られていない頃だったが、当時5年生だった坂井さんは、大胆にもテイラー教授に何を勉強したらいいのかを手紙で尋ねたところ、「大学院に来て公衆衛生の博士号を取るべきだ」という返事をもらう。浜松医科大学で医学士の資格を取得して卒業後、東京の国立公衆衛生院の専門課程に入り、ジョンズ・ホプキンズ公衆衛生大学院で博士号を取得した村松博士の教室に籍を置き、幸運にも、東京にいながらにして国際保健の勉強を始める事ができた。その間、フルブライトの奨学金を獲得し、1983年、ボルチモアにある同大学院に留学。その後、インドネシアで博士論文の研究をし、アメリカに戻る一年前の1988年、同じ研究生だった夫と結婚した。現在は、中学生になる女の子と小学生の男の子の母でもある。

坂井氏 1980年代、UNICEFは開発途上国の母子保健の支援を、実際に現地で行っている最も名の通った組織でした。私がこの世界に入ったきっかけを作ってくださった恩師でもあるカール・テイラー教授や、博士論文の指導をしてくださったロバート・パーカー助教授もUNICEFに移りました。テイラー教授は中国のUNICEF代表を務め、パーカー助教授は中国のUNICEF事務所で保健分野のチーフとなりました。私も博士論文を終える頃、UNICEFに応募し、たまたま空いていた中国のポジションに入ることになりました。そのおかげで、最初の5年間はUNICEFの仕事の勉強だけでなく、ジョンズ・ホプキンズ公衆衛生大学院のパーカー助教授にOJT(On-the-Job Training)を受けることができ、とても恵まれた環境にいたのです。
中国での勤務後、アフリカのマラウィで保健および栄養のチーフを、その後、ニューヨークのUNICEF本部で予防接種活動のアドバイザーを務めた坂井さん。このときは世界各国を回るとともにWHOや世界銀行等とのパートナーシップを強める役割でもあった。ニューヨーク赴任後はネパール代表を務め、その後カンボジア代表の現職に至る。
坂井氏 UNICEF代表の仕事は開発の専門家としてとても面白い仕事であるだけでなく、公衆衛生の専門家としても最もやりがいのある仕事の一つだと思います。本来、保健活動は医療システムだけで出来るものではなく、教育、行政組織、市民団体、メディア、社会福祉の専門家等が協力して初めて有効に機能し、国民の保健状態が向上するものですが、UNICEF代表は、これらすべての分野での活動を統括していける醍醐味のある仕事なのです。またこうした仕事を平和時でも、内戦下でも、また復興の努力をしている最中でも出来るのです。テイラー教授が「The most interesting job in the world(世界で一番面白い仕事)」と言っていた理由が今になってわかってきました。
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