
渡邊氏が上梓した『社会起業家という仕事』
渡邊 90年代の半ばになるとバブル経済はあっけなくはじけ、里帰りするたびに社会で何かが失われつつあることを痛いほど感じました。電車の中などで見かける無表情で憔悴した人たち、どんどん増え始めた不登校児、自殺者のことが気になってたまらなくなりました。海外に長く住んでいると自分のルーツを強く意識するようになります。私の場合は、日本人としての美意識を作品を通して表現するため、感じたものを意識的に掘り下げることが習慣となっていました。
そんなとき、偶然「ソーシャル・アントレプレナーシップ(社会起業)」という概念について友人から聞かされました。2000年の春のことです。ソーシャル・ワーク(社会事業)とアントレプレナーシップ(ビジネス起業)という二つの相反するコンセプトを一つにした造語です。これまでの寄付やチャリティーでもなく、利益追求のビジネスでもない。言わば、社会問題解決の真新しい方法であり、同時にビジネスのあり方だと。
例えば、ボランティアという活動もありますが、日本では災害が起きたときには集まるけれど、それ以外のときは何もしない。そういう一時的な努力ではなくて毎日働きながら社会をより良くし、同時にちゃんと暮らしていけるだけの収入も得る……。なんだか、この生き方/働き方は私たち日本人にあっているんじゃないか、というひらめきがあったんです。
ハーバードで社会起業を教えるのはパンク・ロッカー!

教科書にもなった『チェンジメーカー』
当時は広告や雑誌などの撮影でスケジュールがぎっしりつまっていたのですが、その合間をぬってジェッド・エマソンという方にボストンまで会いに行ってみました。社会起業の理論研究の第一人者です。
2000年秋にハーバード・ビジネススクールで開講した社会起業コースの講師に任命された彼は、ブロンドの長髪を持つパンク・ロッカーでした。いくら説明を受けても社会起業について理解できない私に彼は言いました。 「社会起業っていうのは時代の最先端のニーズから発した仕事のあり方であり、生き方なんだ。音楽で言えばパンクロックさ」と。
そのとき、彼から「社会起業の父」と呼ばれるビル・ドレイトンやアショカ財団について初めて耳にしました。それからの私はとりつかれたようにあと5人の社会起業家を訪ね、インタビュー、ポートレート撮影をしてまとめたストーリーを2000年10月号の『ペン』という男性誌に発表したのです。
それ以降、何度かそんな特集を組んでもらい、それを読んだ慶應義塾大学大学院教授の金子郁容さんが「本になれば良いね」と編集者を紹介して下さり2005年8月に『チェンジメーカー』を上梓しました。さらに同年の9月には慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスでソーシャル・イノベーションというコースが始まり、自著が教科書の一つとなりました。
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