このページの本文へ
ここから本文です

地元に誇りを持てる暮らし 次は日本の農業を見据える〜唎酒師/桝一市村酒造場取締役 セーラ・マリ・カミングスさん(2)

2008年7月8日

(伝農 浩子=フリーライター)

(第1回はこちら

 効率化、近代化という名の下に、さまざまな日本の文化、継承されてきた職人仕事が切り捨てられている。職人の世界にあこがれる若者が増えてはいるが、後継者が育つか、職人がいなくなるか、追いかけっこなのが現状だ。セーラ・マリ・カミングスさんは、そんな消えそうな日本の伝統文化、職人の技術を絶やさないようにと奔走する。約15年前に栗菓子で知られる長野県小布施市の小布施堂に勤め始め、現在は同社に加え、同系列の「枡一市村酒造場」、「修景事業」で取締役を務め、さらに、「文化事業部」で代表取締役を務める。「日経ウーマン」誌が選ぶ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」で大賞を受賞した彼女の活躍は、あまりに有名だ。なぜ、セーラさんは、小布施で次々に事業を立ち上げ、またそれが可能だったのだろうか。

セーラ・マリ・カミングスさん(Sarah Marie Cummings)

“本当の日本”は地方にある

セーラ・マリ・カミングスさんが初めて日本の土を踏んだのは、地元ペンシルバニア州立大学在学中の1991年。関西外語大学の交換留学生として訪れた。アメリカが200年祭を迎えた小学校のころ、「2000年の歴史と伝統を持つ」という日本を知って以来、あこがれていた国だった。しかし、1年間を過ごした大阪は思い描いていた自然と伝統の町ではなかった。

「でも、大阪は人が面白かったからカバーできた(笑)。世界に知られている京都や奈良は観光化されすぎていてがっかり。“本当の日本”は地方にある、と思いました」

そして、いったん帰国。やがて、1998年に予定されている長野オリンピックにかかわりたいと思い始める。翌年、大学を卒業すると再来日を果たし、長野市の企業に勤めながら、長野オリンピック組織委員会(NOAC)で本当にボランティア活動を始めた。リレハンメル・オリンピックへの視察にも同行。しかし、まだ、日本語が完璧ではなかったこともあり、いずれも回ってくる仕事は翻訳や通訳など、お客さん的な扱いだった。

雇用期間の1年が終わろうとしていたころ、次の仕事先を相談した上司が教えてくれた中に社長がユニークだという小布施の老舗和菓子屋、小布施堂があった。電話をするとすぐに会ってくれるという。社長の市村次夫さんは、かつて小布施の町並みを統一する修景事業を大胆に成し遂げた人。住んでいた場所から電車で30〜40分の距離を、自転車で迷いながら3時間かけて訪ねると、その場で雇うことを約束してくれた。

(全 6 ページ中 1 ページ目を表示)

あなたのご意見をコメントやトラックバックでお寄せください

記事検索 オプション

日経BP社の書籍購入や雑誌の定期購読は、便利な日経BP書店で。オンラインで24時間承っています。

ご案内 nikkei BPnetでは、Internet Explorer 6以降、 Safari 2以降、Opera 8以降、Netscape 8.1以降またはHTML 4.01/CSS level 1, 2をサポートしたWebブラウザでの閲覧をお勧めしております。このメッセージが表示されているサポート外のブラウザをご利用の方も、できる限り本文を読めるように配慮していますが、表示される画面デザインや動作が異なったり、画面が乱れたりする場合があります。あらかじめご了承ください。

本文へ戻る