宮沢先生の思い出〜前代未聞、倒閣した細川首相に引き継ぎ
(田中 秀征=福山大学教授)
宮沢喜一元首相が亡くなった。“不肖の弟子”として、思い出を書いてみたい。
亡くなった日、細川護熙元首相から電話が来て思い出話をした。細川さんは、宮沢内閣にとって代わった存在だが、宮沢先生をことのほか尊敬している。今度も、「経済、外交、安全保障などすべての点で私と考え方が同じ」と言っていた。
「いちばん印象に残っているのは、やはり、細川内閣発足直後の宮沢・細川会談」だという。
私もこのときのことを鮮明に覚えている。
首相に引き継ぎはない、だが、クリントン大統領との会談内容をすべて語った
細川内閣の発足は、1993年8月9日。軽井沢での2人の会談は8月17日。内閣ができて10日足らずの日であった。
私はこの会談に仲介役のような形で同席した。そして、あらためて宮沢先生のすごさを認識させられた。
会談後、細川さんも「宮沢さんて、本当にすごい人だね」とつぶやいたのが忘れられない。
宮沢先生からすれば、細川さんは自分の内閣を倒した存在。しかし、何のこだわりもわだかまりもないことにびっくりした。
日本の首相に「引き継ぎ」はない。大臣の引き継ぎはあるのに首相にはない。実におかしな話だが、考えてみれば、日本の首相には引き継ぎを必要とする案件はないのだ。そんなことは周りの官僚がみんな知っているから、特別に引き継ぎすべきことはない。実に情けない話ではないか。
ところが宮沢首相は別であった。その年は東京でサミットが開かれ、就任したばかりのクリントン大統領が宮沢首相と会談した。正式の会談の他に、得意の英語で2人だけで話をしたことも多かった。それを細川さんに申し送りしたのだ。
事前に私が、「細川さんがお会いしたいと言っています」と宮沢先生に伝えると、「ちょうどよかった。私にも申し上げたいことがあるから」ということだった。
その内容は「NPT条約」(核不拡散条約)の延長問題や日本の常任理事国入り問題についての重要な話であった。話し方はもの静かであったが、その迫力は実にすご味があった。
その後もいろいろ相談があると、3人でしばしば会った。細川さんが官邸から抜け出すことが最も大変だった。誰にも知られないように宮沢先生に会い、いろいろ示唆を与えてもらい激励も受けた。現首相と前首相の密会ははらはらするほどスリルに満ちたものだった。
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