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「中国化」懸念は杞憂に、やはり変わっていない香港

2005年8月22日

1997年7月に香港が中国に返還され香港特別行政区が発足してから今年で8周年になる。8は中国で縁起のいい数字だが、8周年記念パーティといった行事はほとんど見かけない。現地香港の人たちは、宗主国が英国から中国に変わっただけ、とクールに考えている人が多いようだ。つまり、返還後も香港は何も変わっていない。逆に言えば香港が中国化することなく、返還前から築いていた1国2制度の精神は生き続けている。

恐れていた“汚染”は進まず

筆者自身、香港が中国に返還されると決まってから、香港の将来については率直のところ悲観的であった。すなわち、物理的にも精神的にも“汚染”されるであろうと考えていた。

物理的とは、一般に中国人がメンテナンスの必要性を認識していないこと。中国では、機械類は使用するだけ使用して使い捨てという考えだからだ。その良い例が、90年代初めに日本企業の援助で建てられた深セン駅だ。当時としてはその華麗さに驚いたが、深セン市が外貨を調達しローンを早期返済することで、管理が市側に任されることとなったとたんに駅は汚れ、エレベーター、エスカレーターは動かず、トイレは使用不能となった。

また、精神的な汚染とは、中国の官僚組織の影響による汚職社会が出現する懸念であった。

ところが、変換後8年経っても街並みは昔と変わらないし、中国流に古いものを強制的に一掃して高層ビルに建て替えるのとは異なり、古い街並みや歴史的建造物は残しつつ、高層ビルが次々と生まれている。従って、街全体が突然変わってしまったという印象はない。

一方、汚職の方も、幸いなことに、返還前からある政府機関ICAC(The Independent Commission Against Corruption:汚職摘発機構)がかつてのように機能している。汚職のない地域の世界ランキングで、香港は現時点でも北欧諸国に次いで上位にある。

元新華社香港分社社長の楽観的な予測はほぼ的中

ここで、許家屯氏(当時82歳)に対するインタビュー記事を紹介しよう。香港の雑誌「90年代」に返還直前の97年5月号に掲載されたものである。許氏は、83年から90年2月まで新華社香港分社社長(当時は中国政府の香港代表部と考えられていた)を務め、香港特別行政区基本法の起草などにも参加したが、天安門事件後の90年5月に米国へ亡命した。インタビューはロサンゼルスで行われた。許氏が返還後の香港について予測した内容は、以下のような楽観的なものであった。

(1)中国経済には国営企業改革などに改革が必要。そのためには、香港をさらに利用することが重要である。1国2制・港人治港は改革解放政策の一環と考えられる。つまり、中国経済は改革のために香港を必要としている。香港に求めるのは、外資導入及び中国企業の上場による資金調達すなわち金融機能であり、輸出入機能である。他の中国の都市が直ちにこれに取って代われるものではない。したがって、香港の将来は楽観的だ。

(2)中国側が香港に干渉しないようにするべきだ。中央の各部門、地方の各省・市が香港に人を派遣しようとしているが、阻止は難しいとしても、彼らが特権を利用しないよう監督する必要がある。

(3)香港では、低い税率と自由経済の恩恵を受け、企業家が比較的容易に速やかに大小の資本家になることが出来る。これが大きな魅力である。もし中下層の人々が政権に付けば、直ちに高福祉や税の引き上げなどの社会主義に走ってしまい、香港の価値はなくなる。中国もこの点をよくわきまえ、大資本家の董建華氏を初代行政長官に担ぎ出したが、これはよいことだ。

next: 驚くべきことに…

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