── どのように量産環境で技術を発揮するのですか。
五十嵐 それぞれの部品では、当然、使用する金属が異なります。特に、私が扱うのは難削材と言われるように切削加工が難しい材料が多い。これを削るための刃物や治具を自分で作り、さらに機械をどう操るか、どうプログラムするか、といったことが組み合わさって、初めて部品が出来上がる。方法はいくつもあります。治具の良し悪しや特性、刃物の微妙な形状を考え、その中から最適な加工方法を回答として見つけだす。そして、試作ができても、量産ができないようなものでは、意味がありません。量産する機械の癖を見抜いて、道具やプログラムを調整する。機械は、10の指令を出しても、9.99はその通りに動くが、残りの0.01は思い通りに動いてくれない。同じメーカーの同じ機械でも、それぞれに特徴がありますから、その機械にあわせた刃物や治具を作らなくてはならないのです。

切削に使用する刃物の数々。材料や加工機に合わせて作られている
若い頃は、遅刻・無断欠勤の常習犯でした
── もともと金属加工の技術者を目指していたのでしょうか。
五十嵐 いいえ、テクノスクール(職業訓練校)では、汎用旋盤を学び、それを活かせる仕事があればいいと思っていました。当時は、仕事を選べる時代ではなかったですからね。私は、地元の吉田町(現・燕市)の出身です。テクノスクールの卒業生のうち、地元への就職となると、ほぼ9割が北越工業、残りが蒲原機械工業という状況でした。私はへそ曲がりですから(笑)、みんなと同じところには行きたくない。それで蒲原機械に就職したのです。しかし、決していい社員ではありませんでした。若い頃は、遅刻・無断欠勤の常習犯でしたし(笑)。
── 金型加工や切削加工の道に歩んだ理由は。
五十嵐 その不良社員に対して、会社が新たに取り組むコンピューターに関する仕事を任せるという話がきたのです。24歳の時です。いい言葉でいえば、抜擢なのでしょうが、悪く言えば飛ばされたともいえます(笑)。任されたのは、10.5インチのハードディスクのケーシングを開発するという仕事です。ところが、ハードディスクは極めて精密な製品ですから、求められる加工精度が、当時の蒲原機械がやっていた仕事と一桁違う。まさにミクロン単位の仕事が求められるのです。切削加工そのものの仕事が初めてですし、しかも、これだけの精度が求められる。私のそれまでの経験では想像できないような仕事を任されたのです。当時はリストラが行われ、長年勤務して技術を持った人たちが退職するという状況にあった。機械もない、教えてくれる人もいないという環境でのスタートでした。
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