【本当にあった怖い話】信頼は一瞬にして崩れる(第3回)

崩壊した老舗ブランド
熱烈支援で劇的に復活
4月6日、桜咲乱れる京都に新ブランドが誕生した。一澤(いちざわ)信三郎氏が立ち上げた「信三郎帆布」と「信三郎
(かばん:左が布、右が包の作字)」だ。開店初日、100平方メートルの小さな店舗に多くの客が詰め掛け、用意した1万数千点の商品は午前中にほとんどが売り切れてしまったという。小さな手提げバッグでも5000円以上と、決して安価なものではないのに。

今まで一澤帆布で培った技術や素材選びは保持しつつ、柄物や大胆な色使いをした信三郎ブランド。「今までの考えは大胆に捨てて新しいものに取り組んだ。災い転じて福となす。いい製品ができたと思います」(信三郎氏)
写真/大亀京助
突然の社長解任


開店から10日目の4月15日。開店前から店を囲むように行列ができた。
店内はまるでラッシュアワーの電車のような混みようだ。用意した商品も昼過ぎにはほとんどが売り切れる
写真/大亀京助
こうした状態はその後、2週間経っても続いている。
信三郎氏が4代目の社長を務めていた一澤帆布工業は、創業100年を超える老舗。手作りの丈夫なかばんで全国にファンを獲得していた。ところが昨年12月16日、社長解任という事件が起こる。
ことは2001年、先代信夫氏の遺言書を巡る裁判に端を発する。弁護士が預かっていた1997年12月12日付けの遺言書には、20年以上経営に携わってきた三男の信三郎社長と恵美夫人に約3分の2の株を所有させる旨の記載があった。しかし数カ月後、当時銀行員だった長男の信太郎氏が、2000年3月9日付けの第2の遺言書を持って現れる。そこには、信三郎氏ではなく、信太郎氏と四男・喜久夫氏に約3分の2の株を持たせる内容が記されていたのである。
この内容や書式、筆跡などに疑問を感じた信三郎氏は、「第2の遺言書」の無効を求め訴訟を起こす。しかし、04年12月には最高裁で敗訴が確定、一年後の12月16日に信太郎氏は信三郎氏を解任し、自らが社長に就任したのだ。
町衆が義憤で結束
翌日、このニュースは多くの新聞で報道され、一躍世間の脚光を浴びることとなった。
「ニュースで聞いて仰天、すぐに信三郎さんをお見舞いにあがった」
一澤帆布製かばんのファンで、信夫氏との親交も深かった大徳寺真珠庵の山田宗正住職は、その日の衝撃を振り返る。
割烹料理店を営む信三郎氏の友人、須原陽一氏は「信夫さんは気さくで信三郎さん夫婦とも仲がよかった。それを見知っている私からすれば、遺言書の内容はまったく理解できない。偽造でしょ。そうでなかったとしても、株を手にしたとたん、一澤をここまで育て上げた弟を解任するなど言語道断」と怒りをあらわにする。
司法が助けないなら、ファンや友人が助ければよい。こうした思いが一つにまとまり、早くも1月上旬には山田住職を会長に「一澤信三郎さんを応援する会」が発足する。その活動の第一歩は新聞に意見広告を出すことだった。
会の運営費用のため、会員には一人当たり1万円以上のカンパを募った。ところが、あっという間に200人を超え、現在は募集を休止しているという。
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