どん底からの復活!

このまま終わってたまるか!

 社員教育も強化した。以前は契約数に応じて報酬を支払っていたが、設置工事完了後に支払うシステムに変更。これは架空の契約、キャンセルを当て込んでの強引な契約を防ぐためだ。かつては、営業成績が優秀であれば評価され出世していたが、クレーム数を減点の対象とし、管理能力を問う人事制度に変えた。

 「社長は常に部下を信じきってきた。りん議、制度、システムなどの言葉は社長の前では禁句だった」と、当時国民生活センターとのやり取りを担当した佐藤充廣総務部長。「しかし、社名公表後、社長自らこうした言葉を使うようになった」。

 しかし、騒動はこれだけでは終わらない。5月22日、当時の通産省から改善命令が下った。さらに7月8日には博多支店の元課長補佐が訪問販売法違反の疑いで逮捕された。復活しかけては叩かれ、浮かび上がっては叩かれの連続だった。

 林は幹部を大分に呼び全員に問うた。

 「朝日ソーラーをやめるか?」

 その時の状況を、若手ホープで次期社長と目される安井茂人常務は「その言葉に皆、奮い立った。このままで終わってたまるか、と誰もが叫んだ」と振り返る。

 しかし、相次ぐ事件に世間の風は冷たかった。多くの営業マンが離散していった。売り上げの減少に伴い、支店の統廃合、規模縮小を余儀なくされた。撤退に掛かる多くの手間と費用に林は歯ぎしりをした。「破産して夜逃げする経営者の気持ちが分かる」程だった。

 とにかく失速を止めなければならない。林は警察に訴えた。「社長の俺が一番悪い。俺を調べて下さい。なにか悪いことがあるなら俺を逮捕して下さい」98年2月、最終的に福岡県警は林の送検を断念した。行き過ぎた営業が会社ぐるみである証拠が得られなかったからだ。

 ようやく一段落したものの、既に会社の規模は10分の1になっていた。108あった支店は18店舗に、社員数は300人、売り上げは40億円に減少。林の体にも異変が起きていた。げっそり痩せ、過度の飲酒により肝臓を悪くした。薬の副作用でうつ状態にも陥った。失ったブランドの代償はあまりにも大きかった。

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