四川大地震・現地ルポ

第3回
壊滅的打撃を受けた工業地域

日経アーキテクチュア 佐々木 大輔
2008年6月19日

 5月23日、私たちは、綿竹市漢旺鎮を目指した。漢旺の中心部は、蒸気タービンを製造する大手国有企業「東方汽輪機」がある工業地域で、学校や集合住宅、病院、工場、官庁施設が倒壊するなど地震被害が深刻だった地区の一つとして報道されていた。

 成都市から北に約90km。高速道路で徳陽市まで出て、一般道で現地に向かった。車中、東京工業大学の和田章教授が、前日に見たレンガ柱の建物被害について話す。「被害の大きな建物は、つくりが似ていたね。レンガという素材を使うなといっても、建築には文化的な側面があるから難しいだろう。レンガは、人海戦術で造りやすい。以前、北京で聞いた話だが、木材が不足して型枠ができないといった事情もあるのかもしれない」――。

 一面、もやがたれこめ、視界が悪い。100m先がかすんで見える。行き交う緊急車両は、けたたましくクラクションを鳴らし、猛スピードで駆け抜けていく。綿竹市の中心部を越えると田園地帯が広がった。農民が田植えしている。倒壊した農家の前では、シートを張っただけの簡易なテントが並ぶ。

5月23日、もやの中を綿竹市漢旺鎮に向かった。漢旺への道は、多数の救援車両が行き交う(写真:日経アーキテクチュア)

綿竹市中心部では、警察官が所々に立っていた。「抗震救災指揮部」と書かれている(写真:日経アーキテクチュア)

 出発から約3時間。綿竹市中心部から約20km北に漢旺鎮はあった。街では中低層の建物が至る所で倒壊し、道路わきにはがれきが積んであった。

漢旺鎮の入り口付近で倒壊していた店舗。原形をとどめていない。街の中心部に近付くにつれ、倒壊した建物が増えていった(写真:日経アーキテクチュア)

 漢旺の中心部は、緊急車両やボランティアの救援車でごった返し、車を停めることもままならない。ふと時計台に目が止まる。2時28分――。最上部にある時計は、地震発生時刻を指したまま止まっていた。

街の中心部。道路わきにがれきが積まれている。写真右奥に見えるのが時計台。時計は、地震が発生した2時28分を指していた(写真:日経アーキテクチュア)

 多数の生徒が死亡した中学校のある地区へ向かう。地区の入り口では兵士が検問していた。立ち入りは制限され、市民の通行は許されていないようだ。やり取りの後、通行が認められた。兵士が言う。「建物は非常に危険な状態だ。用が済んだら、早く戻れ」。

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