校舎は、階段室部分だけを残して崩れ落ちていた。救出作業を終えた現場には、レンガやコンクリートの破片が積み上げられている。がれきの山には机や教科書、運動靴などが多数、散乱していた。現場の一角には祭壇がつくられ、死者を悼む音楽が流されている。地震直後の報道では、階段室部分が2カ所で残っていたが、救出作業の際に一方の階段室は壊されたようだ。
階段室の壁には、黒板や中国国旗が張り付いたままだった。その下には、多数のコンクリートの板が垂れ下がる。階段室の足元には、鉄筋コンクリート製の梁が落下していた。日本国内の地震被害は何度か取材した経験があったが、初めて見る異様な壊れ方だった。
階段室のアップ。黒板の下に、コンクリート製の梁と床が垂れ下がっているのが見える(写真:日経アーキテクチュア)
階段室の反対側に回る。同様にコンクリート製の床が垂れ下がっている(写真:日経アーキテクチュア)
階段室の足元は、レンガやコンクリートのがれきの山。机や教科書などが散らばっていた(写真:日経アーキテクチュア)
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