第15回
「小泉政治」が「橋本政治」から引き継いだもの、引き継がなかったもの
政治アナリスト 花岡 信昭氏
2006年7月4日
橋本龍太郎元首相の死去は、当方の世代の政治記者には様々な感慨をもたらすものだ。政治家の盛衰を目の当たりにしてきたからである。
1億円ヤミ献金問題などで失意のうちに政界引退に追い込まれた橋本氏だが、「橋本政治」を改めて位置づけることは今日的な意味があるように思える。「小泉政治」の基盤になったと思われる点がいくつか見受けられるからだ。同時にそれは、小泉首相が果たせなかった課題を浮き彫りにすることにもなる。
構造改革は橋本政治が先駆けだった
橋本政権は、行政、財政、経済、金融、社会保障、教育の「6大改革」を掲げた。中央省庁再編(1府12省庁体制)と消費税の税率アップ(3%から5%へ)などが実現した。構造改革路線は小泉政治の先駆けとなる役割を果たした。橋本氏は「教育」には満足な取り組みができなかったことを悔やんでいたが、小泉首相も教育基本法改正を先送りするなど、同様の対応となった。
1府22省庁から1府12省庁への再編が本当によかったのかどうかは、いまだに評価が分かれる。あの当時、橋本氏に「ようかんの切り方を変えただけではないか」とただしたことがあるが、「いったん大ぐくりに再編して、それからそれぞれをそぎ落としていくんだ」とムキになって反論された。小泉首相は国家公務員の5%削減を打ち出したが、一律削減では意味がない。外交安保機能の拡充、情報機関の設置といった「国のかたち」に直結する中央省庁再編はなお道遠しだ。
内閣府を創設し、官邸の機能強化を図ったのは、小泉首相の「首相主導体制」に引き継がれた。ただ、小泉政権下で「党高政低」から「政治(官邸)主導」への転換は試みられたものの、これがシステムとして根付いたのかとなると疑問が残る。首相個人のパーソナリティーに負うところが大きいからだ。
橋本氏は当時のクリントン米大統領、エリツィン・ロシア大統領との個人的関係を構築、米国との関係では、米軍普天間基地の返還を引き出し、日米安保再定義の共同宣言をまとめた。これが96年4月だ。
それから10年後、小泉首相は今回の訪米で日米安保の新たな共同文書をまとめた。橋本氏はポスト冷戦下での日米関係再構築、小泉首相は「9・11」後の日米同盟強化に取り組んだことになる。
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