クスリは何を治すのか?
リスクマネジメントの事例として、この「抗うつ薬論争」を考えてみよう。すると、現在、行われている医薬品の効果の科学的な判定法が、仮説検証型のモデルに従っていることが根本的な問題だと分かる。
ここでいう仮説検証型という意味は、抗うつ薬の効果判定であれば、「新薬Aは、ある特定の目的を達成する結果(うつ症状の改善)をだす上で、従来の薬B(または偽薬)より有効である」という仮説をたてた上で、それが実験で正しいかどうか、テスト(検証)するという方法ということだ(詳しくは当コラムの連載10回「新薬と偽薬はどちらが有効?」を参照)。
この方法は、科学実験としては立派な方法なのだが、「ある特定の目的」を最初に決めておかなければならないところが、リスクマネジメントとしてはダメな点である。最初に決めた「ある特定の目的」以外の副作用のリスクを──具体的にこの場合であれば自殺傾向を、その研究目的には関係しない一種の“雑音”のようなものとして軽視する傾向を生み出すからだ。
だから、科学的に有効性が確認された新薬であっても、「うつ症状の改善」というあらかじめ決めておいた目的は達成できたが、自殺傾向が増えたことによって「死亡率の改善」にはつながらないということが起こり得たわけだ。つまり、新薬の臨床試験を正確かつ誠実に実行できるかどうかという以前の問題として、仮説の元になる「薬で何を治すのか」ということをどう考えるかという最初の価値観で大きく左右されてしまう。
同じようなことは医学ではよくあることで、抗ガン剤のときに「病気の腫瘍を小さくする」という目的を達成しても、「病人の寿命が長くなる」とは限らないこともしばしば批判される。
臨床研究に目的達成型の科学的正確さだけではなく、狭い目的にとらわれないオープンマインドなリスクマネジメントをどう組み込んでいくのかが今後の課題だろう。
なお最後に確認しておくが、医薬品というものは化学物質である以上、患者にとって有益な作用ばかりではなく、有害な作用をもつことは避けられない(いわゆる副作用)。自殺行動のリスクを高める副作用があるからというだけの理由で、SSRI型抗うつ剤(セロトニン再取り込み阻害薬)という抗うつ薬を使うべきでない、危険な薬と考える必要はない。
大切なことは、うつを治療するという効果と副作用のリスクとのバランスなのだ。もし読者のなかでSSRI型抗うつ剤を服用している方がいらっしゃったとしても、パニックになる必要はなく、主治医にきちんと相談してみてほしい。
この連載のバックナンバー
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