不確実性をコントロールする「科学的呪術」
さて、なぜ医学教育を受けているはずの医療者たちも、この医学的には有害な「儀礼」を長く続けてきたのか。このことを理解するには、医療社会学者レネー・C・フォックスのいう「科学的呪術」という考え方が参考になるだろう。
どんなに医学技術が進歩しても、健康や病、死を取り扱う臨床医療の現場には不確実性がつきものであると、彼女はいう。
まず、医学知識だけでは個々人の病気や経験している苦しみのすべての原因を説明することはできないという不確実性。そして、限られた人間の能力では、すべての医学知識を理解しミスなく実行することは不可能だという不確実性。最後に、医学知識の持つ限界と医療者の個人的な無知の2つの不確実性を区別することが非常に難しいという不確実性である。
特に外科的手術のように、不確実性が避けられないにもかかわらず、生死に直結する責任がある場合には、医療者は、状況をうまくコントロールできないと感じて、ひどいストレスにさらされてしまう。そのストレスを下げるために、医療者は何もしないでいるよりも、むしろ“積極的に”(医学的に有効かどうかはさておいて)自分にできる何かの行動を起こすことで不確実性をコントロールしようとする傾向があるというのだ。
フォックスは、こうした行動パターンは、医学知識に基づいた技術として患者に役立つものになるとは限らず、医療者のストレスを下げるための「儀礼」としての「科学的呪術」となって、患者に役立たない可能性もあることに注意を喚起している。
どこまでが「科学的技術」で、どこからが「科学的呪術」なのか? この境界線も実は不確実だということは、前回の連載の心肺蘇生術のときに指摘したとおりだ。
医療者はもちろんだが、医療を受ける側としても、医療者の行為はしばしば科学的でないという唯一確実な事実を心の片隅にでも意識しておく必要があるのだろう。
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