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医療社会学からみたリスク

毛はフケツ?

 医学的には、てい毛は傷口の感染リスクを高めるということが知られているにもかかわらず、なぜ今なお行われることがあるのか? その背景にあるのは、清潔と不潔という価値観が、科学的な衛生という意味だけではなく、清浄と汚れというもっと古い意味をも持っているということだ。

 文化人類学者のメアリー・ダグラスは、現代社会での不潔は、病原菌の有無という医学や衛生の視点から科学的に説明されているが、実際には伝統社会での文化的・宗教的な価値観とも共通する性質が多いことを指摘している(『汚穢と禁忌』(メアリー・ダグラス著/塚本利明訳、思潮社)など)。

 彼女によれば、不潔とは、そもそも科学的な概念ではなく、場違いな場所におかれて調和を乱すものを指している価値的な概念だというのだ。

 例えば、靴はそのものとしては不潔ではないが、もし食卓におけば不潔とみなされる。靴のまま日常生活をする西洋人にとって、(テレビドラマや映画で見るように)靴のままベッドに入って寝るのは不作法にすぎないことだが、日本ではひどく不潔なこととされるだろう。

 また、子どものイジメで、よく「不潔」という言葉が使われるが、これも実際に病原菌をまき散らすという医学的意味ではもちろんなく、「仲間はずれ」ということを象徴している悪口だ。

 人間の毛は不潔であるという考え方も、よく似た例が伝統社会にも、現代社会にも共通して数多く見つけることができる。それは、人間の身体の一部であった何かが、その身体から離れると不潔なものや危険なものになるという考え方である。ツバは毎日飲み込んでいるのだから不潔ではないはずだが、一度吐いたツバをもう一度飲み込むというのは何となく不潔な感じがしないだろうか。

 それとは逆に、聖人や宗教者の身体や遺体の一部が崇拝されることがあるように、身体から離れた一部分が聖なるものとして扱われることもある。

 また、毛そのものではなく、毛を剃ることも宗教的な意味づけがある。日本でも、出家の場合のように、頭の毛をすべて剃ることは俗世を捨てることの象徴となっている。

 てい毛が受け入れられている文化的背景には、清潔が必要とされる外科手術という非日常的な命がけの出来事に臨む直前に、医学的に消毒するだけではなく、象徴的に身を清める「儀礼」も必要だという意味があるのだろう。

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