「もの言う患者」になる
医療過誤は医療システムの問題である以上、個々の患者の「賢さ」だけでは医療過誤の被害にあうことを避けることはできないと冒頭では述べた。しかし、悲観的になる必要はない。医療システムの一員(というよりも実際には主人公)である患者の行動によって、医療システム全体の安全性を上げていくことはもちろん可能なのだ。それは、裁判官や法律家による「医療ミス」のチェック、医療者自身による「医療事故」のチェック、それに加えて、患者の価値観から個々の医療行為の「医療過誤」をチェックするということだ。
医療行為には、健康を達成するための技術手段という側面だけではなく、何が好ましい健康状態かという目標を定める価値観という側面の二つがある。医療者は、たしかに手段の専門家であって医学知識を備えている。しかし、一人ひとりが何を目標として求めているのか(たとえば、不治の病いのときに、生命の延長、痛みの除去、はっきりした意識を維持することなどのどれを優先するか)は、患者自身の価値観に左右される。医療行為のなかの手段の選び間違いは、医療者や法律家の努力で減らすことができたとしても、医療の目標を決定し修正することができるのは患者本人だけである。そのために大事なことは、患者が医学知識を学んで賢くなることではなく、医学知識という手段を使ってどうしてもらいたいかという自分の価値観を医療者に伝える、つまり「もの言う患者」になることだ。
巷(ちまた)で「賢い患者」という場合にはどうも医学知識を得た上で医療者にものを言おうという意味のように思える。むしろ、それでは順番が逆で、医学的に正しい「賢い」質問ではなくても、少しでも気になったことについては、ものを言うことこそ重要なのだ。そうして、患者が医療者に医療過誤への意識を持たせる実地教育をすることこそ、医療の主人公としての責任を果たすことになるのではないか。何から始めたらよいのか分からないという読者もいるかもしれない。患者の立場から医療過誤を描いた最近の書物『沈黙の壁 語られることのなかった医療ミスの実像』(R・ギブソン、J・P・シン、瀬尾隆訳/日本評論社)には、具体的なやり方として次のようなことが挙げられている。たとえば、自分がどんな医療を受けたかを詳しく自分でも日記につけることや、家族や友人が入院したときには、できるだけ病院に行ってどんな医療が行われているかを自分の目でチェックすること、そして、繰り返しになるが、自分の直感を信じて「何かおかしい」と感じたら医療者に質問すること、などだ。
(医療者も含めて)人は誰でも間違える以上、医療過誤を患者の自己責任だけで避けることはできない。だが医療の主人公としての責任ある行動をすることは、システムの間違いを防ぐ方向への一歩にはなるのだ。
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