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現実主義に目覚めよ、日本!

第59回
「知ること」の価値を見直す

東京財団前会長 日下 公人氏
2007年6月1日

 あるテレビのコマーシャルに、養老孟司さんが出演していた。女性が養老さんに「知るとは何ぞや」と聞く。すると養老さんは「知ると、その前に知らなかった自分が見える」と言った。「知らなかった自分が知った自分に生まれ変わった」。養老さんとはもう30年ほど前から付き合っているので、わたしの考えも養老さんとだいたい同じである。

 「知る」ことについての議論は、はるか昔のギリシャ哲学に、既にあった。アリストテレスやソクラテスやプラトンなどの哲学者たちは、働いたことがまったくなかった。全部奴隷がやってくれるから、働く必要がなかった。

 だから彼らは、お互いに話し合うことを続けた。するとだんだん議論は高尚になっていく。低俗なことはたいてい、すぐに終わりとなる。議論がだんだん難しくなっていくと、「知」にたどり着く。

 そして最後にソクラテスは、「知らないことは知らないと知れ」と言った。「自分はそういうことは知らない」と気付くのが、「知る」ということだ。どうも、何だかよく分からない話になってしまった。

 人が集まって頭で議論していると、だんだんと話はそういうふうになってしまう。これは孔子でも釈迦でも同じで、言葉の上に言葉を乗せ、論理の上に論理を乗せていくと、だんだんとそういう逆説的な言い方になっていく。

 それでも「なるほど、そうだ」という収穫はある。わたしは今まで、そういうことを自然にやってきた。つまり、まず「知る」ということ。「知の人」になるということだ。

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