対比論が大好きな日本人
外国人が見た日本を知ると、日本人は逆に「あなたがたこそ違うのですね」と、外国のことも見えてくる。「あなたがたは猫に縄を付けるのですか、こちらは違いますね」となる。つまり、何かと対比しなければ自分たちのことも分からない。
最近は日本人もだんだん国際化されて、外国と付き合うようになり、対比論が大好きになった。その対比論にも、いろいろ種類がある。
例えば、農業をする人と狩猟をする人という対比。狩猟民族は略奪を悪いと思っていない。攻撃を悪いと思っていない。お互いに攻撃し合って、その上にバランスがある。相手が防御に回るならやっつけてしまえばいいだけであって、それで終わりだ。
ところが農耕民族は、辛抱強く待っていればそのうちにいいことがあると考える。雨の日のあとは晴れの日がある。そういう生き方が身に付いている。そんな対比もよく使われる。
あるいは、大陸と島国の対比。大陸では、人間は歩いてどこまでも行ってしまう。悪い政治をすると歩いて逃げてしまう。中国やロシアなどの歴史を見ると、その時々の政治によって、驚くほど人間が移動している。
かつてツァー(帝政時代のロシアの皇帝)に虐待されたロシア人民は、シベリアへと移動していった。カムチャツカ半島にたどり着いて、さらにベーリング海峡を渡ってアラスカへ行き、ついにはサンフランシスコまで歩いて行ったというから、人間の足はすごい。
どうして人間にはそんなにも歩行能力があるのか。きっと先祖はものすごく歩いたのだろう。歩けない者はその場で置いていかれた。そんな「足による自然淘汰」があったのだろう。
養老孟司さんは、その前にもっとすごい淘汰があったと言っている。それは言語による淘汰である。養老さんによれば、ネアンデルタール人が滅びたのは言葉を使わなかったからだそうだ。確かに、言語による淘汰はあっただろうとわたしも思う。今でも、口のうまい人が出世する。
もっとも、日本はもうそんな状態を卒業した。米国ではいまだに口がうまい人が出世する。日本には、評判というシステムがある。評判で世の中が動いていくのが一番いい。日本はそれを発見して実践している。米国では、評判が立つ前にうまいことを言った人が勝つ。
そういう違いも、大陸と島国の違いからくるのかもしれない。特に日本の場合は、文字が出来る前から数えて約1万年もの間、だいたい同じような人たちが同じようにして住んでいる。だから、評判で社会が成り立つのだろう。
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