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現実主義に目覚めよ、日本!

第55回
外国との対比で見えてくる日本精神の独自性

東京財団前会長 日下 公人氏
2007年4月17日

 日本には「日本精神」というべき独特の精神がある。しかし、この「日本精神」について、あるのは分かっているけれども、それが何なのか自分たちではよく分からないところがある。むしろ、外国人が考察してくれたほうがよく分かる。

 先日ベトナムを訪れたとき、ベトナムでは猫の首には縄をつけるが、犬にはつけないという話を聞いた。その理由を聞くと、ベトナム人は「分かりません、それが当たり前なのです」という。自分たちが日常行なってきたことに、別に理由はないということだ。わたしが「日本では反対です」というと、「変な国ですね」と言われた。

 また、国立民族学博物館の責任者と話したとき、その人はこんなことを言っていた。

 民族学博物館には国際民俗文化に関する資料が展示されているのだが、以前はアフリカの資料の説明書きには「マサイ族のヤリ」などと書けば済んでいた。しかし最近は国際化の時代となり、マサイ族の人が見に来るようになった。すると彼らはその説明書きを見て怒るらしい。「わたしたちはマサイ族ではない」という。「では何という名前ですか」と聞くと、「名前などない。人間だ」と答えるという。

 これは当たり前の反応だ。「マサイ」という名前は周りの人がそう呼んでいるだけであり、周りの人が付けた名前というのは、悪口であることが多い。だから本人たちは怒り出す。

 かつて日本は中国から「倭」と呼ばれていたが、それも悪口で付けられた名前だった。「野蛮人」という意味の漢字だから、悪口である。やがて日本人はその名前に腹を立て、聖徳太子のころに「ここは日の本である、ここは大和である」と言い始めた。それは中国に宣言するための名前であって、もともと自分たちで自分たちに名前を付ける必要はなかったはずだ。

 
 

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