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現実主義に目覚めよ、日本!

第47回
政策提言を支える儒教の教え/大工の知恵

東京財団前会長 日下 公人氏
2006年12月27日

 政策研究や提言は、立派なことで、賢い人がやるものだと世の中は思っている。「政策提言」という言葉が出始めたのは、おそらく昭和38年か39年あたりだと思うが、とても格好よかったので提言は新聞に載るようになり、その流行は現在まで続いている。

 わたしは「政策提言」が始まった当初から手伝っていたので、50年近くそれにかかわっていることになる。50年も経てば、そろそろモデルチェンジをした方がいいと思うが、その提案の前に、今まで政策研究は誰がどんな動機でどんなふうにやっていたか、長年かかわってきたわたしの視点から、実態を検証したい。

 政策提言の基本スタイルは今も変わらない。まず「発想」で、次が「研究」、そして「まとめ」があって「発表」がある。この四つが主な作業だ。

 この中でまず問題となるのは、最初の「発想」である。世の中が間違っているとか、これでは自分が割り損だとか、そういう何らかの提言者の発想があるが、そこには公共的な意図もあるし、プライベートな意図も入っている。

 発想の根底にプライベートな動機があったとしても、提言が仕上がったときにはエゴイズムは隠されて、“世のため人のため”という体裁で提出される。しかし、間近で見ていると、裏側にあるプライベートな動機がよく見える。

 ともあれ、打開策発見のための研究が始まり、出来上がると、学者なら、研究はそのまま学会報告をすればいいし、役所の人なら、役所の政策として大臣に提出すればいい。

 しかし、政策提言では、提言らしく見えるまとめをする。「こう言えば世の中にウケるだろう」とか、「同じ研究でもここを強調するとよい」など、そういうまとめ方は単なる報告とはまた別の才能である。

 
 

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