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現実主義に目覚めよ、日本!

第43回
「心情」から語る靖国論(6)
~遺書に見る戦没者の思い~

東京財団前会長 日下 公人氏
2006年11月2日

特攻隊員は死を「飾りたかった」

 8月15日の靖国参拝のとき、「国民の心を代表してお参りにきた」と小泉元首相は語った。しかし、その「国民」の中には、英霊が入っていない。

 もしかすると小泉さんは「入っている」と言うかもしれない。「入っている」根拠として、彼は鹿児島の知覧へ行って、特攻平和会館を見て、そこにあった神風特攻隊の人の遺書を読み感動したときのことを話すだろう。「あそこへ行って、わたしは感動した」から、国民という中に英霊の心も入っていると言うだろう。

 だが、それは特攻隊の隊員たちの遺書を読んだだけじゃないかとわたしは言いたい。その遺書には、大きな偏りがある。

 遺書は、表向きは立派に書いてある。それは素晴らしいものだ。20歳ぐらいの若い男が、ここまで立派な文章を書くのかと感動する。あらゆる関係者に配慮し、自分の心を一つに決めて、それをまとめて文章にして残した。たった18~20歳で。昔の教育はすごいものだと感動する。

 それはそれでいい。しかし、その遺書を表面的に読んだだけでは分からないものがある。まず、遺書を書いた特攻隊員たちは自分の死を飾りたいと思っていた。

 死からは逃れられない。死ぬと決める。その死をなるべく高く売りつけたい。「高く売りつけたい」というと表現は悪いが、立派な姿で死にたい。遺書には、そういう思いも入っているのだ。

 うちの息子は立派な息子だった、雄々しい息子だった、けなげな息子だったと、親にほめられたい。立派な人だったと、周りの人に思われたい。そういう意識が遺書には入っているはずだ。

 
 

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