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現実主義に目覚めよ、日本!

第39回
「心情」から語る靖国論(2)
~儒教では前政権を絶対に許さない~

東京財団前会長 日下 公人氏
2006年9月7日

国家の正当性のために「天」が生まれた

 中国が総理大臣の靖国神社参拝をいつまでも問題にするのは儒教の影響である。

 中国の儒教的な考え方について、孟子までさかのぼって考えてみよう。まず2000年前の中国は、やたらと国家が交代した。どこかの勢力が南下してくるたびに戦争が繰り返され、結局、強い者が勝って、新たに国を造った。

 強い者が勝つことは明々白々なのだが、そこに何か理屈をつけたい。それは、強いから勝ったということでは世間が安定しないからだ。

 「おれの方がもっと強い」と、ほかの誰かがチャレンジしてくれば、戦争は何百年も続いてしまう。この繰り返しをやめたいから、新しく君主になった者は「もはや交代はない」と言いたいし、国民も安心したいから賛同する。国民は「新しく出来た国はもう滅びない、その君主は何か特別な存在なんだ」と思いたいのである。

 ではその「特別」とは何か。そこで彼らが発明した架空の論理は、「天がある」ということだった。君主になるような立派な人には、天から「あなたがここを統治しなさい」という天命が下るんだという論理。

 だから君主を「天子」、つまり「天の子ども」と言うようになった。天子の言葉は、天の声だから、みんな従えというわけだ。

 これが「レジティマシー」、つまり正統性がどこにあるかという議論である。統治力の根源は軍事力だとは、なるべく言いたくない。そこで「天」と言う。

 でも誰も天を見たことがないから、目に見えるようにするために、「天壇」という丸い礼拝所を作った。現在は「天壇公園」という北京の観光名所になっているが、石で円形の礼拝所を作って、その真ん中に天子が立ってお祈りをした。

 すると天の声が聞こえるという、途方もない儀式をした。そういうことをすれば、国民は「本当にそうかもしれない」と一瞬でも思ったのではないか。

 これがそのまま日本にも入ってきて、天皇が同じことをした。だが、天皇一人が儀式を執り行っても、誰も天の声だと思わない。日本人は天皇が天の声を中継ぎしていると思わなかった。日本人はそういうことを、中国のようには本気にはしなかったのである。

 
 

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