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現実主義に目覚めよ、日本!

第13回
アメリカの「仕掛け」にすべて乗る必要はない

東京財団前会長 日下 公人氏
2006年1月12日

アクションとは「人にやらせる」こと

 「理想主義」の深淵に位置するトーマス・モアは、経済学者などではなく法律家であった。法律家の偉いところは、「アクション(action)」をするところだ。ギリシャ人は人間のすることを「レーバー(labor)」「ワーク(work)」「アクション(action)」に分けた。アクションはその最上位に位置する。この3つの区別を知らないから、日本人はさんざんだまされて損をしている。

 古代ギリシャには3層の階層があった。一番下が奴隷で、次に一般市民がいて、その次に支配階層、つまり貴族がいた。だから「働く」といっても3つの種類があった。「レーバー」は奴隷が言いつけられてする働きで、「ワーク」は中流階級の市民が、自分の好きなことをするものだった。そして「アクション」をするのは、貴族だった。

 アクションとは、「人にやらせる」という意味。つまり、自分がやるのではない。他人がやることを見下していう考え方なのだ。だから法律のことを「アクト」と呼んだりするわけだ。人にやらせるから「アクト」なのだ。

 その語源を思えば、われわれ日本人がアメリカに「アクションプラン」をつきつけられたときには、即座に「ふざけるな」と言わなければならないのだ。ところが日本の官公庁などは、「アクションプランのとおりにやれ」と言われたら、単に条件闘争だけをする。大筋はのんでしまっておいて、部分的に「日本はすぐには無理です」などと主張する。これではもう、完全に負けている。

 「アクト」をつくって人に押しつける人のことを「アクティブな人」というだろう。活動家など、人にやらせる人のことだ。だが日本では、上に立った人は「よきにはからえ」といって、自分はアクションしない。アクティブでない人は、逆に評判がいいのだ。

「ユートピア」は性善説で成り立っている

 トーマス・モアは、1516年に『ユートピア』という小説を発表した。ちょうど君主制に対する不満がたまっていたときだったので、彼は「理想の国があれば、こうではない」と君主制批判を書いた。ユートピアとは「どこにもない場所」という意味で、英語でいえば「Nowhere」にあたる。トーマス・モアは、「こんな国はどこにもない」と断った上で、自分の理想とする国の姿を描き出したわけだ。

 このような“理想”を読んで、「なるほど、自分がそれを実行する」という人は出てくるものだ。例えば同志を集めてボランティアでやるのもあるし、会社の社長が「この会社だけはユートピアにするぞ」とやるのもある。しかし、それらはあまり長続きすることがない、と僕は思う。その人が生きている間はいいが、やがてダメになることが多い。

 これはつまり、「性悪説」と「性善説」の問題だ。ユートピアをいう人はみんな性善説で、本当に性善の人だけ集めればユートピアをつくることはできるはずだ。だが、やがて便乗する人が集まってきてしまう。自分だけ得をしようとする性悪な人が集まってきてしまって、結局ダメになってしまうのだ。

 そういう点では、日本という国は実に成功していたといえるだろう。国全体がユートピアになっていた。便乗しようとする人が少なく、みんなきちんとワークしていて、誰かに言いつけられても「これが自分のワークだ」と思ってレーバーを果たす人がたくさんいたのだ。

 
 

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