「テレビ映り」に惑わされるな、本当の無駄遣いは別のところにある
メディアも国民も、無駄遣いという言葉にあまりにも敏感になりすぎて、バランスを崩してしまっているように見える。それをいったら、利益を出さないものは何もかも無駄ということになってしまう。
メディアは無駄遣い追放という金科玉条をふりかざすものだから、誰もそれに対する反論ができない。無駄遣いを廃止させるか、無駄遣いを認めるのか、お前はどちらの立場に立つのかと迫るのは、まるであの郵政選挙を思い起こさせる。
そもそも、「私のしごと館」でかかる費用は雇用保険の企業負担分が投入されているのであり、税金が直接投入されているわけではない。廃止しても税金が減らないのだ。公費には違いないが、一部のメディアが言う「わたしたちの血税を無駄に使っている」という言い方は必ずしも正確とはいえない。
そんなことよりも、虎ノ門の雑居ビルにあるような公益法人をなくすか、そこに天下りする官僚をなくすことのほうが、ずっと無駄の追放になるではないか。
それなのに、なぜ「私のしごと館」廃止をヒステリックに叫ぶのか。それは、結局、テレビで見栄えがするかしないかではないかと思う。
つまり、雑居ビルの一室にある事務所を廃止するのと、「私のしごと館」を廃止するのではインパクトがまったく違うのだ。「私のしごと館」をテレビに映せば、「こんな大規模な建物で、しかも総ガラス張りとは、いったいどれだけ公費が無駄遣いされているのでしょう」と言いたくもなる。
要するに、同じように無駄を廃止するにしても、「私のしごと館」はずっとテレビ映りがよく、国民にアピールできるのだ。雑居ビルでは絵にならない。国民はピンとこないだろうというわけである。
だが、これでは政治家や官僚の思うつぼである。
結局、ここきて突然廃止が決まったというのは、選挙のためのパフォーマンスとしか思えない。閣議決定で「1年以内に結論を出す」といっているのだから、なぜ1年くらい待てないのか。それから廃止したっていいではないか。委託してどうなるか状況を見るといいながら、1カ月で何が分かるというのか。しかも、何の評価もしていない。まず廃止ありきだったということが、ここからも分かる。
ここにきて、降ってわいたように起こった後期高齢者医療制度の見直し論についても根は同じことだ。きちんと検証もしないで、行き当たりばったりで廃止するのは「私のしごと館」の場合と変わらない。
誤解していただきたくないが、わたしは節約すること自体に反対しているのではない。だが、効果的に節約したいのなら、本当に無駄なところから切るのが当然ではないか。少なくとも優先順位を考えて切っていくべきだと思うのだ。
あなたのご意見をコメントやトラックバックでお寄せください
この連載のバックナンバー
- 漢字は読めなくても政局が読める麻生総理のすごい能力 (2009/05/07)
- 似ているようで全く異なる与党と民主党の景気対策 (2009/04/28)
- 3月に景気が底入れしたと考えるいくつかの根拠 (2009/04/21)
- なぜ誰もデフレの危機を叫ばないのか (2009/04/14)
- 複雑怪奇な平日の高速道路料金に隠された陰謀 (2009/04/07)

