第12回
真の消費者ニーズと向き合う
――アメリカ牛肉の輸入再開と消費者ニーズ
日本SEQ推進機構代表 徳江 倫明氏
2006年1月13日
「安全は当たり前」ではなかった
昨年末は「耐震強度偽装問題」に日本中が揺れた。新年を迎えた今もその後の問題点が明らかになるにつけ、その根深さは底なしの観がある。
前回、「耐震強度偽装問題も食品安全の問題も根底は同じ」という提言をした。さらに今後どういう展開になるかも予測したが、ほぼその通りに事は進んでいる。その中で懸念していたことではあるが、一つの結論に結び付く言動が目立つようになった。いわく、「事の経緯を明らかにすることも大事だが、突き詰めれば、行政も企業もすべては『安全』を第一に考えるというモラルの確立にかかっている」という主張である。なぜなら安全は誰が考えても当たり前だからということである。議論を重ねてきた結論としてはあまりに安易である。
「安全」は本当に当たり前なのであろうか。確かに消費者は「『食が危ない』『住宅が危ない』なんて気にしすぎだよ。国も企業もそれは当然のこととして対処しているはず」だと思っていた。しかし、この数年で、その根底にある信頼性がことごとく崩れてきたのである。当たり前のことが当たり前でなかったということに気づいたのである。今、重要なことは、この気づきをさらに深めることである。戦後、高度成長期から今日に至るまで、私たちは安全性より経済性を優先する構造を営々と築いてきた。今回の問題もその延長線にあるということを改めて考える必要があり、安全は決して当たり前ではなかったのである。
日本は工業立国を目指し、便利さを享受しながら公害を生み、大量生産による安さを求めて食品公害や農薬問題を生み、健康を求めながら薬害を引き起こしてきたのである。「豊かさ」を追求することと裏腹に蓄積してきた環境問題も然りである。言い換えれば「消費者ニーズ」のなせる業(わざ)、私たちはまさに「消費者ニーズの落とし穴」にはまり込んでいるのである。
「すべてに『安全」を優先させる』というのは、極めて真っ当な結論ではあるが、それが成り立たない仕組みを私たちは営々と築いてきたということが問題である。あらためて言えば、今回の事件が「モラル」や「倫理」の問題に集約されることこそ避けなければならない。「事の経緯」――なぜそのようなことが起こり得るのかという構造的問題を明らかにすることこそ重要なのだ、ということである。
もう一つ重要なことがある。それは「自己責任論」である。日本はこれまで「性善説」に寄り過ぎていたという主張でもある。つまり、しょせん利益がなければ国も企業も成り立ち得ない。経済優先は至極当然、その中でモラルも倫理も背後に押しやられるのは仕方ない。だから日本も「性悪説」に基づいたリスク管理を考えなければならない。すべては買う側がチェックし、自分の行動に責任を持ち、不利益を被ればそれは自己の責任として対処しなければならないという論である。「自己責任論」は一歩間違えれば、とてもアナーキーな「無責任論」となる。
この連載のバックナンバー
- アメリカ牛肉の輸入再開と消費者ニーズ (2006/01/13)
- 売れても売ってはいけないものがある (2005/12/09)
- 安全と環境と有機農業 (2005/11/29)
- 生産履歴・トレーサビリティの最前線 (2005/11/11)
- 番外編―日本、中国、安心・安全をめぐる旅 3 (2005/11/01)

