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“外交弱小国”日本の安全保障を考える

中国系団体がホンダ議員を導いた

 決議が採択されるまでは、ホンダ議員はこの中国系団体とのつながりを一切、表明に出そうとはせず、むしろその関係を否定するような態度さえみせてきた。

 だがホンダ議員は7月30日夕方の議会での「勝利」の記者会見で冒頭に、「感謝」の対象として第一にこの「世界抗日戦争史実維護連合会」(以下、抗日連合会と略)の名を挙げた。そして次のように語ったのだった。

 「1999年、この団体(抗日連合会)がアジアで戦争中に起きたことの映像展示会を開き、その一つが慰安婦問題だった。そしてその団体の指導と主唱がわたしたち議員事務所、そしてわたし個人にとっての最初の(慰安婦問題への)かかわりとなった。同団体の主唱こそがわたしに情報と推進力を与え、カリフォルニア州議会で共同決議を採択させたのだ」

 ホンダ氏はカリフォルニア州議員だった1999年に、「日本の性的奴隷、米兵捕虜への細菌兵器実験、南京大虐殺などの戦争犯罪に対し、日本政府が『明白で明確な謝罪の表明と犠牲者への個々の賠償』をすることを求める決議案」を提出し、採択された。この採択を最初から最後までプッシュしたのが抗日連合会であり、とくに同連合会副会長で創設役員の中国系米人活動家イグナシアス・ディン(沈)氏がホンダ氏と密着して活動したのだった。

 ディン氏自身がホンダ氏との共闘の模様を詳しくカリフォルニアの地元新聞数紙に語っていた。以下はその要旨である。

 「1996年に抗日連合会などがスタンフォード大学構内で開催した日本の戦争犯罪に関する会議にマイク・ホンダ氏が出席して、連合会の日本非難に賛同するようになった。その結果、ホンダ氏はカリフォルニア州議会に日本糾弾の決議案を出すことへの意欲を抱くようになった」
 「1999年6月にはホンダ氏は同州議会に実際に日本糾弾のそういう趣旨の決議案を出し、同年8月には採択された。わたし(ディン氏)はこの決議案の草稿をホンダ氏やその議員スタッフとともに書いた。ホンダ議員との共闘は成功した」

 この抗日連合会がまさに長い年月をかけてホンダ氏を導いていった、というのである。別の表現をすれば、同連合会がホンダ氏を操ったともいえよう。連合会の幹部連がホンダ議員の選挙資金をコンスタントに寄付してきたのだから、操ったと言うほうが正確かもしれない。

 そしてこの副会長のディン氏はサンノゼ・マーキュリーというカリフォルニア州の有力新聞の取材にこたえて、驚くべき述懐をしていた。2005年8月に出た同紙の記事である。

 「わたし(ディン氏)は2002年に中国を訪れた際、歓迎を受けた。中国当局にとってわたしはきわめて有用であることが明白だった。中国当局よりもわたしのほうが日本人をいらだたせることがずっと上手だからだった。日本との闘いは日本が本当に変わるまでやめられない。言葉やカネでなく、態度でその変化を示すまでだ」

 つまり在米団体の抗日連合会の代表は中国当局とぴったり連携し、その代弁という形で日本を叩いている、ということなのだった。

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