第47回
国が謝るとき
国際問題評論家 古森 義久氏
2007年4月24日
米国議会が慰安婦問題で日本の首相や政府に謝罪を求める決議案を審議するようになった。安倍晋三首相は訪米に臨み、懸命な対応に努めているようだ。だが決議案が要求するような謝罪を表明すべきか、否か。そもそも一つの主権国家の政府や首相が対外的に謝るという行為はいったいなにを意味するのか。
国家が謝罪するとはなんなのか。慰安婦問題でまた浮上した「謝罪」について、その基本を考えてみることも必要だろう。
国家には当然ながら多様な機能や活動がある。戦う。負ける。弾圧する。降伏する。滅びる。妥協する。賠償する。悲しむ。喜ぶ。
以上のような、それぞれの現象は国民や民族の公の集団としての主権国家の動きとして、想像がつく。意味が分かる。
だが国が謝る、というのは、なにを指し、なにを果たすのか。解答は急に難しくなる。
国家の謝罪というのは国としての一定の言葉の表明である。言葉を通じて、遺憾や痛恨の意を表し、反省を述べ、過誤を認める。相手への同情や贖罪(しょくざい)の意を表す。だが降伏とも、屈服とも、賠償とも異なる。降伏や賠償が具体的な行動を指すのに対し、謝罪は単に言葉の表明だけでもありうるからだ。
この連載のバックナンバー
- 北朝鮮のミサイル発射があらわにした日米同盟の希薄化 (2009/04/14)
- 間近に迫るテポドン2号の脅威を読み解く (2009/03/31)
- 保守派の論客、ラッシュ・リムボウを知っているか (2009/03/17)
- 社会主義色が濃厚になったオバマ大統領の施策 (2009/03/03)
- ヒラリー訪日の意味 (2009/02/17)

