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“外交弱小国”日本の安全保障を考える

人の思考に繊細な神経を向ける人柄

 1936年、海軍の軍人を父に生まれたマケイン氏は自分自身も海軍士官学校に入り、海軍パイロットとなった。そしてベトナム参戦で当時の北ベトナムの首都ハノイ地区の軍事施設への爆撃に出撃し、地上からの砲火で撃墜された。パラシュートで降下したものの捕虜となる。1967年のことだった。捕虜生活が5年半、73年春に米国と北ベトナムとのパリ和平協定が結ばれた結果、解放された。

 捕虜としての拷問や強制労働などの苦労、そして他の米軍捕虜たちを励ましながらリーダーとして軍事機密を保った忍耐は米側で広く知られるに至り、その体験記は記録的なベストセラーとなり、映画化までされた。マケイン氏はやがて政界入りし、1982年に下院議員に当選、86年には上院へと転じた。

 このベトナム体験のおかげと言うべきか、わたしは上院議員になってからのマケイン氏と何度も語りあう機会を得た。わたしもマケイン氏が捕虜になっていた期間の一部を含めて合計4年近くベトナムに駐在し、戦争の報道にあたっていた。彼が解放され、北ベトナムから南ベトナムに運ばれてきた73年4月もサイゴン(現ホーチミン市)にいて、その動きの一部を目撃した。だからベトナムへの思いはいろいろな意味で深かった。

 ワシントン勤務となってマケイン上院議員に戦争体験回顧などについてインタビューを申し込むと、すぐ応じてくれた。質問の合間に自分のベトナム体験をちらりと話すと、彼は関心を示し、二人だけのベトナム論議にずいぶんと熱がこもった。1990年代はじめのことである。以来、米国の対ベトナム関係や対アジア政策、ひいては日米安保関係など、テーマこそ変わっていったが、数年間にわたり何度も話を聞くことができた。

 その体験で感じたのはマケイン氏が他の人間の思考や感情に繊細な神経を向けるという印象だった。また日本との同盟関係には強い関心を抱き、同盟の堅持が両国にとってプラスであることをいつも強調していた。

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