第104回
新しい仕組みを希求する日本
さくら事務所取締役会長 長嶋 修氏
2009年3月11日
最近「道州制」というワードを、あちこちで聞くようになった。
長期にわたる経済の停滞。そこへ押し寄せた世界的な金融不安と景気後退。中国やBRICsの台頭による相対的な国力の低下。本格的な人口減少と少子化・高齢化時代への突入。年金不安や雇用不安と格差の拡大。政治、中央官庁への不信。地域ではコミュニティー崩壊を象徴するような事件も続出し、地方の経済はますます減衰、地域力の低下が叫ばれる。わたしたちを覆うこれらの閉塞感がこれまでの「中央集権的システム」のゆえであるとし、権限を中央から地方へ大幅に、大胆に移譲することで新たな国づくりへ着手、新時代へ向けて大きく舵を切ろうというのが「道州制」である。
グローバル化の大きなうねり、また物質的には充足した我が国が次の価値観を標榜するうえで、これまでの仕組みの延長線でも上手くいくと考えている者は政治家にも官僚にも、民間人においても、おそらくほとんどいまい。わたしたちはこれまでのありようを、根本的に変革する時期にさしかかっている。
地方分権改革委員会は予定を前倒し、2009年秋の臨時国会には、委員会勧告を受けた法案を提出するとしている。この際に与野党が、メディアが、そして一般国民である我々が、この国の新しい形にどれほど関心を持ち真剣に議論できるか、ここにわたしたち日本人の行く末が問われている。内需の拡大・安定とは主に、地方経済の活性化のことをいう。地方の活性化なくして国の繁栄はない。
ところで、道州制の議論における「地方分権」とは、ただ中央にある権力を地方に分散させればよいのではない。それでは本質的な問題解決には全くつながらない。道州制の真髄を一言でいえば「上から下へ」の権力やお金の流れを、住民から上へと上げる流れに変えることである。まず住民の、地域に対する強い帰属意識や愛着、それに伴う市町村行政への関心と当事者意識。住民に一番近い基礎自治体にはできるだけの裁量権限を与え、市町村ができないことは都道府県が、都道府県ができないことを道州がまとめ、軍事や外交など、国家が担当すべきものは国家が行なうということだ。
道州制の議論にはさまざまな類型がある。また道州などという中間的な機能をつくらず、全国を幕藩体制ころの日本のように300程度に分けるという案もある。わたしは、どの方策がベストであるかということについては絶対的な意見を持ってはいない。大切なのは、多くの国民が納得してスタートすることであり、それができれば極端に言えばどのような形でもよいと思っている。定額給付金はケチがついた段階で効果は半減、中止すべきであった。政策は国民の納得感あってこそだ。
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