第11回
教育の成果主義、これだけの弊害~教育改革私論(2)
親野 智可等氏
2007年11月16日
教育の成果には、数値で測ろうとすれば一応測れるものもある。例えば、テストの点や50メートル走のタイムなどは、測ることができる。
だが、それらは教育の成果のごく一部である。教育全体の百分の一もないかもしれない。教育の成果は測れないものの方がはるかに多いのだ。教師の仕事は学力の向上だけでなく、クラスを円滑に運営し、子どもたち同士の関係をよくすることも重要である。
仮にある先生がクラス運営に全力を投入し、子どもの気持ちを理解して一人ひとりを大切にしていたとしよう。やさしく一人ひとりに声をかけ、休み時間に仲間から外れている子どもを遊びの輪に入れてあげたりするなど気を配り、和気あいあいのクラスになってきた。これは大きな成果だが、いったいどのように数値化するのか。
担任の先生自身にはもちろんその変化が分かる。そのクラスに入って音楽を教えている先生がいたとしたら、その先生にもかなりの程度分かる。同じ学年の先生にもある程度分かる。しかし、校長には分からないことが多い。同じ校内にいても、外から見ているだけでは各クラスの微妙な「変化」は見えにくいものなのだ。
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