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「場当たり個人情報」から「攻めの情報活用」へ

第22回
人々をだます“SAFETY”という罠

ネット情報セキュリティ研究会会長 田淵 義朗氏
2009年2月27日

 SAFETYと聞けば、セーフティーネットのことを連想するほど、未曾有の大不況である。

 しばらく休んでいた連載を再開するにあたり、このサイトのテーマであるSAFETYについて、少し考えてみたい。情報セキュリティや個人情報保護の問題も、SAFETYをいかに実現するか、そのためにあると言ってもよい。しかしSAFETYという言葉そのものにだまされる人が増えている。その原因は言葉が形式化しているためで、それが問題なのである。

SAFETY ―― この言葉の呪縛

 会社がある日、突然死する。そんな時代ゆえ、どうして? と考えることは、会社経営者にとって最優先事項である。だから突然死しないために何をなすべきか、そんな大前氏の記事がどこか気になる。

 そのような不安を少しでも抱え込んでいると、経営者は疲れてしまう。よって小山氏の「心豊かで安全な経営とは何か」を読んで、安心したくなる。

 「我々の国家はどこに向かっているのか」。迷走を続ける政府の行く末に、やれ政権交代だ、なんだかんだ言っても、解散するかどうかは総理大臣の専権事項だから、どうにもならぬ。本来なら選挙で白黒つけたいところなのだが、それもままならない。そして時間だけ無為に過ぎていく今、「どこに行くのだろうね、この国は」という話でも読んで、参考にしておこうかと思う。

 不動産がずいぶん今年は下がるらしい。その予兆は、不動産会社が次々と倒産しているのを見ればおよそ見当がつく。それで「失敗できない時代の不動産選び」を読みたくなる。もし買うのだったら損しないようにしなきゃ、という気持ちから。

 誰もが不安のない SAFETY な生活をしたい、仕事をしたいと強く願っている。特に昨今はどこもかしこも人員削減だ、何千億円の赤字だという話ばかりだ。人のことを構うより自分がいかに生き残っていくかに注意が向く。先の見えない時代だからこそ、何かに拠りどころを見つけたいと人は考える。

 SAFETY とは、本来思想であり理念であり、維持したい状態を指す言葉だが、突き詰めると人間の根源的な欲求である。常に危機から逃れたい、危機を退けようとするのは人間の本能だから、「SAFETY ですよ」と言われると、人はその言葉に呪縛(じゅばく)されてしまう。

 よくよく考えると、絶対的な安全、安心というものはこの世に存在しない。そもそも安全・安心とは相対的概念である。現状や他者と比較して安心、安全というのに過ぎない。

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