告知の不作為は罪に問えるか
問題は、「告知の不作為」が刑事事件として法的責任をどこまで問えるか、という点である。
その前に少し法律論になるが、不作為とはどういうことか簡単に説明をしておきたい。詳細の学説は省略する。危険を前にして何もしないことを「不作為犯」というが、これは立派な刑事犯罪になる。不作為が犯罪となる(犯罪の構成要件という)ケースとはどういう場合だろうか。
例えば、海で溺れかけていた人がいたとする。それをたまたま通りがかったあなたは発見した。しかし見ているだけだった。そのうちにその人は溺れて死んでしまった。あなたは不作為犯として罪に問われるか?
答えはノーである。あなたは通りがかりの普通の人だからだ。
ところがあなたが監視員だったらどうだろうか。もし溺れかけている人を見つけたとき、何ら救助の行動を起こさなければ不作為犯となる。なぜならあなたは遊泳者の安全を監督する注意義務を負っており、業務上過失致死罪となる可能性が高い。
これをこの事件に当てはめるとどうなるだろうか。溺れている人は感染患者で、監視員は国である。溺れた原因は、浮き輪(薬)が不良品で用を為さなかったのである。浮き輪は監視員が事前に安全と認めたものだった。こうした構図になる。
しかし問題は、当事者自身が不作為と認めない場合だ。「溺れる人を見なかった」「溺れているようには見えなかった」「一生懸命監視していたが発見できなかった」と言えば、不作為犯を構成するだろうか?
今回の薬害肝炎事件では、「告知をするのは医者の仕事」として行政の仕事ではないと官僚は一貫して言い続けている(官僚全員が調査の際「本人に告知する認識が当時誰一人も持っていなかった」と答えていることから明らか)。
これが意味するのは、C型肝炎患者への告知の不作為を免れるために、リストの存在自体を否定したのではないか、ということだ。
国と製薬会社の不作為によって、このリストに掲載された418人中、肝硬変、肝がんで53人が既に死亡してしまった。また生存中の人にも肝硬変や肝がんに進行してしまった人もいる。「早めに告知していれば病状の進行は抑えられた」という客観的事実をどう考えるか。
次回は、出された報告や官僚の発言など踏まえて、いくつかの疑念についてさらに検証を深めたいと思う。
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