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震度7の建築経済学

冥福を祈る資格

 判決では「殺害の計画性」がなかったというが、安全に気をつけていた東城さんを執拗につけねらっていたことを、社会では通常、「計画的」と判断するはずである。

 また、犯行が明るみに出るのを恐れて、殺害し遺体をバラバラにして隠し通そうとする企てを、社会では通常、「悪質な計画」とも判断するはずである。

 平出裁判長は、「冥福(めいふく)を祈らせる」ともした。しかし、そもそも、犯人に、自分が虐殺した相手の冥福を祈る資格などあるのだろうか。

 冥福とは広辞苑によると「死後の幸福」である。一般的にいって、冥福を祈ることができる者は、故人と良きかかわりを持った人たちだけである。葬儀に際しても、遺族は故人が強く拒否するだろうと思われる相手は、葬場に立ち入らせないのが通常である。

 犯人が「死刑になって地獄でおわびする」と覚悟しているのに、裁判長はなぜかこの世に止めて「冥福を祈らせる」とする。何かがおかしい。

 社会の常識からすれば、極悪非道な犯人には、決して故人の冥福にかかわってほしくないのである。要するに、裁判長の「冥福を祈らせる」とした言葉は、余計なお世話であるし、日本の慣習を無視する不当な押しつけ行為にほかならない。

 裁判長は、社会のことわりと人間の心を、まったく理解できていないのではないだろうか。

 傍聴席で遺影を抱えた遺族は「無期懲役」の判決に呆然とした表情になり、すすり泣いたという。大切な身内を失ったうえ、このような「理不尽」な判決で追い打ちをかけられるのでは、さぞ無念なことであろう。

(注)判決の内容に関しては、東京新聞およびNHKの報道に基づいた。

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