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「産業突然死」の時代の人生論

第79回
集団的自衛権の先にあるもの

経営コンサルタント 大前 研一氏
2007年5月23日

 最近の日本の政治家の発言をさらってみると、「日米同盟を強化しよう」という内容のコメントが相次いでいることに気づく。久間章生防衛大臣は「日米で装備品の共同開発が進むことを考えれば現在のままでいいのか検討する時期にきている」と述べれば、額賀福志郎前防衛庁長官も「米国に向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉しても、迎撃せずに傍観することでよいのか」と、集団的自衛権の行使を訴えているという具合だ。

 内閣関係者からこういう趣旨の発言が増えているのは、4月下旬の安倍首相の渡米の際のお土産という意味合いもあったに違いない。だからといって「単に米国に対するリップサービスに過ぎない」と軽視していたら、重大な問題を見逃しかねないことは指摘しておきたい。

 そもそも安倍内閣は、国民投票法案を正式に国会を通し、ゆくゆくは任期中の憲法改正を狙っている。その憲法改正が議題になるときは、憲法9条を変えることが一番のテーマとされるだろう。

 言うまでもなく戦争放棄を唱える憲法9条は、自衛隊を国軍化したい人たち、軍備を強化したい人たち、米国の戦争に協力したい人たちにとっては目の上のタンコブである。彼らは9条を変えて、正式に軍隊を持てるようにしたいと考えていることは間違いない。一見、憲法を改正しないでどこまでやれるかを検討課題とした「集団的自衛権の行使」は、憲法9条を変える場合に無条件で盛り込まれるであろう内容の試金石ともいえるものだ。

 集団的自衛権とは、他国に対する攻撃があった場合にその攻撃に対処する権利のことだ。もし日本に集団的自衛権が認められると、日本と同盟関係にある米国が攻撃されたときに、日本が直接攻撃されていなくても、反撃することになる。

 現在の憲法を正しく厳密に解釈すれば、集団的自衛権は認められるはずがない。なにしろ9条によって、すべての戦争を放棄しているのだから。米国が戦争に巻き込まれたからといって、日本がその戦争に加担することは禁じられているのだ。憲法9条の条文は「戦争」そのものを紛争解決の手段として永久に禁じているのだから。それに現在の国民感情から言っても、日本の戦争参加を認める声が大多数を占めることは考えられない。しかし政府は、憲法を拡大解釈することで集団的自衛権を認めさせたいと考えている。

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