第68回
“東京都の銀行”、巨大赤字の真相
経営コンサルタント 大前 研一氏
2007年3月7日
既報の通り、石原東京都知事が中心となって設立した新銀行東京の経営が悪化、いよいよ再建のための計画作りに入った。この銀行は、大企業に比べて資金調達が困難な中小企業の貸し渋り対策として作られたもので、営業をスタートして今年で3年目に入る。本来であれば、3年目に黒字化する計画であったのだが、実際には巨大な赤字を生んでしまった。
このニュースを聞いて、わたしも複雑な気持ちになった。というのも、実はこの銀行の設立を最初に提案したのはわたし自身なのだ。当時は「メトロポリタン銀行」という名称で計画を進めていたのだが、いろいろと紆余曲折もあり、すったもんだの果てに誕生したのが「新銀行東京」である。誕生したときには、わたしの当初提案したものとはまるで違うコンセプトの銀行になっていた。
では、わたしが提案した銀行はどのようなものだったのか。
はじまりは石原都知事との食事での会話だった。2001年8月27日のことである。わたしは「大銀行をはじめとして、金融機関がバタバタと倒れている時世に、東京都の運用資金など日によって9兆円にも達するお金を、1000万円以上保証されない都市銀行に預けていていいのか。危ないのではないか」と話した。そして、「東京都が銀行を作ってはどうか」と手元資料(下記)を見ながら提案したのである。
つまり、東京都のメーンバンクであったみずほもムーディーズの格付けでE+であり、何らかの外的支援がなければ存続できないというカテゴリーであった。東京都のお金を安全な場所に保全しておかなければ、いざという時に都の機能は停止してしまう。やり方としてはバランスシートの健全な小さな銀行を買収するか、都民が利用しやすい決済機能だけの銀行を作るかを考えなくてはならない、という主旨である。
この食事の翌日には新聞などで「石原都知事メトロポリタン銀行設立構想」の文字が踊った。さすが意思決定の速い知事だけのことはあると驚嘆したものである。石原知事への説明資料は、文字通り上に示した個条書き1枚だけだったのだから。
その後、大塚俊郎出納長(当時。現副知事)が急きょ「もう少し詳しく伺いたい」とわたしの事務所を訪ねてきた。そして特命プロジェクトを立ち上げること、その指導をわたしがすること、などが話し合われた。わたしは都民として参加するということで、コンサルティング料などをもらわない、文字通りボランティアということで参加した。プロジェクトチームメンバーとの会食などでも彼らを鼓舞するためにわたしが支払った。
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