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「産業突然死」の時代の人生論

教育とは愛国心を育てることではない

 次に教育については考えてみよう。道州制や税制を、国を変えていくハードな仕掛けとすると、教育は国を強化するソフトな仕掛け、と呼ぶことができる。安倍さんは教育改革を柱の一つに挙げているが、これについては「論外」である。第一、彼の言う新しい教育基本法はさきの通常国会で通るはずだったのが駄目になった、あれだろう。愛国心を植えつけようとして失敗したわけだ。自民党と連合している公明党は、国だけでなく、池田大作氏や日蓮上人をも愛している人たちだ。だから国をどれくらい愛するかという表現で公明党や民主党ともめたわけだ。

 ところが、安倍さんにとっては、「アイ・ラブ・マイ・カントリーと言え」というのが唯一の教育基本法改正だ。あれをもう一度、提出しようというのだから、論外としか言いようがないのである。

 そもそもなぜこうした問題が今日繰り返されているか、と言えば、今の教育基本法が終戦処理の産物であった新憲法の下に作られているからだ。だから国を愛するということができなくなった、というのが新・教育基本法論者の言い分だ。それはその通りだろう。しかし愛国心の欠如は先進国共通の問題である。生活が豊かになると、国のことよりも家族とか友人とか、半径50メートルのことに関心が移る。国がいい仕事をすればするほど、国のありがたみが忘れられる、という宿命にあるのだ。日本もそういう段階に来ている。

 ただ、日本は戦後すぐの時期に、あまりにも占領軍や共産党・日教組の影響が強かったので愛国心を植え付ける教育に臆病になった、ということは事実である。だからわたしはそうした状況を「普通の国」並に戻す、という事にあえて反対はしない。

 問題はそこから先である。安倍さんが戦後最も若い首相として登場したことの真の意義は過去の歪みを直すことではないはずだ。21世紀、日本は何で飯を食っていくのか、いかに今までと同様、あるいはそれ以上の生活レベルを、グローバル競争にうち勝って維持していくのか、ということが彼の課題であるはずだ。

 そのためには、先の国会に提出された教育基本法では全く不十分である。要するにどういう人材を育てようとしているのか、日本のメシの種をどこに求めるのか(それには人材育成しかないはず)、がまったく配慮されていないからだ。農業はアルゼンチンとオーストラリアにかなわない。製造業も中国やベトナムにシフトする。知識集約型のナレッジワーカーも今ではインドの方がコストが安く優秀、ときている。1億人を何で食わしていくのか。ゲームとアニメ、というわけにもいかないだろう。

 世界をまたに経営力や創造性で勝負するには「欧米に追いつけ、追い越せ」の今の教育システムでは全く不十分だ。北欧型の教育にするか、能力あるハングリーな移民を刺激剤として使い続ける米国型にするのか、それとも前人未踏の新しい境地を切り開くのか、が問われている(ここでは詳述しないが、わたしはそれらの混合モデルを提唱している)。

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