バックナンバー一覧▼

「産業突然死」の時代の人生論

第162回
世界がオバマ政権に求める「責任」

経営コンサルタント 大前 研一氏
2009年2月4日

 支持率68%という戦後第2位の高い数字をもって、米国オバマ新政権がスタートした。ケネディ元大統領に次ぐこの高い支持率が示しているものは、言うまでもなくオバマ氏への期待の高さである。米国民のみならず世界中が彼に寄せている期待には、もちろん現状のこの世界的金融危機をどうにかしてもらいたいという願い、あるいは史上最低の大統領の烙印を押されたブッシュ前大統領の失地回復に対する期待、が多くを占めているだろう。

 オバマ氏が就任演説で強調したキーワードの一つは「責任」であった。彼は選挙戦中にもたびたび「責任」の重要性に言及してきた。彼の言う「責任」とは政府の責任であり、国民一人一人の責任であったはずだ。では、彼の高い支持率は、米国民がその「責任」を負うことに同意した証左かと言うと、そこには疑問が残る。それに、そもそも何についての「責任」なのだろうか。

 前回までの4回の当連載においてわたしは、今回の米国発金融危機が世界中に広まってしまった一因として、米国民が我慢をしない国民性であることを指摘した。日本のバブル崩壊の際に日本発の金融危機が広がるのを防げたのは、国による資金注入よりも、国民が低金利を甘受して捻出し負担した資金によるところが大きいのだとも述べた。日本人の忍耐力、政府に対する服従(寛容性?)などによるところが大きい、と言い換えてもよい。

 では、オバマ氏が説く新しい責任の時代において、米国民はこの金融危機を乗り越えるために我慢することを受容したのだろうか。それはもちろん違うだろう。それにわたしは、今回の金融危機への対策として、国家による救済はあってはならないし、世界金融における「流動性機構」を設置し国際的な救済スキームを作り上げることが必要であると提言してきた。

 では、オバマ氏が、ひいては米国が掲げる「責任」とはどういうものなのか。あるいはどういうものであるべきか。今回はそこを検証してみたい。

あなたのご意見をコメントやトラックバックでお寄せください

SAFETY JAPAN メール

日経BP社の書籍購入や雑誌の定期購読は、便利な日経BP書店で。オンラインで24時間承っています。