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「産業突然死」の時代の人生論

過去の金融危機とその広がり方

 実は、金融危機というのは、この20年ほどのあいだに何回か起こっている。1988年の米国ではS&L危機があった。

 S&Lとは米国の貯蓄貸付組合のことだ。同組合は「レギュレーションQ」という優遇措置によって大手商業銀行よりも金利の上限水準を高くできた。当然、S&Lには大きな資金が集まった。やがて優遇措置が撤廃になると大量の逆ざやが発生し、一気に経営難に陥るS&Lが続出した。これが「S&L危機」である。このためテキサス州ではすべての銀行がつぶれた。

サブプライム危機の銀行損失額の推計

 日本では1989年12月からバブル崩壊が始まった。北欧では1991年から1993年に銀行危機があった。その後1990年代の世界経済はかなり快調に回復してきたが(日本を除く)、1997年6月のアジア通貨危機(著名な投資家ジュリアン・ロバートソンがタイのバーツを売り浴びせた)の影響は大きく、12月には韓国にまで波及した。ほぼ同時期にはロシアでも危機、この時ロシアはデフォルト(債務不履行)を宣言し、これを契機にエリツィンは失脚し、プーチンの登場となったという経緯がある。

 日本では不良債権処理の際に多くの銀行が倒れ、「too big to fail(=倒産させるには規模が大きすぎる)」の方針のもと、大蔵省(当時)の主導で3行に合併させた。これは日本発の金融危機を米国に飛び火させないという政策である(米国債を売られると飛び火するからという米国の要求でもある)。日本国民は低金利を我慢して受け入れ、金融危機を米国に広げないように努めたのである。

 この時国民が負担した金額は、当時の日銀総裁の福井俊彦氏いわく300兆円。日本発の金融危機が広がるのを防げたのは、国による資金注入よりも、国民が低金利を甘受して捻出し負担した資金によるところが大きい。他国ではあり得ないような状況である。米国は日本とはまったく逆で、国民は我慢をしない。だから米国発の金融危機をあっという間に世界中に広げてしまった。

 しかしこれは、日本が米国に対して「そうするな」と言うだけの力がなかった証左ともいえるのだが。

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