第12回
「新しい教育」が日本で成功するには条件がある
経営コンサルタント 大前 研一氏
2006年1月18日
日本のeラーニングが低調な理由
インターネットなどのネットワークを用いた遠隔教育、すなわちeラーニングが日本で流行し始めたのは2000年前後のことだったと思う。時間・場所を選ばないこと、習熟度に応じて何度でも復習できることといった「ならでは」の特性に、これぞ新世代の教育手法なりと注目が集まり、多くの企業が導入に踏み切った。システムを提供するベンダーも飛躍的に増えた。
さて、それから5年あまりが過ぎた現在、国内のeラーニング事情はどうなっているだろうか。もちろんeラーニング需要は今も厳然とあり、また相応の効果を挙げている企業も存在することは確かである。しかし私が見る限り、その数は決して多くはないというのが率直なところなのだ。それはつまり、企業はeラーニングの本来のポテンシャルを充分には発揮させることのないまま今日に至っていることを意味する。
いったいどうしてそんなことになってしまったのだろうか? 私が推測するに、それは心構えの問題ではなかったかと思う。端的には、従来の集合型教育と同じ感覚でeラーニングに臨んではいなかったか、ということだ。「集合型教育と同じ感覚」は、特にコンテンツに顕著に現れる。「eラーニングの効果が上がらない」と嘆く企業の実体をリサーチしてみると、ある共通点が浮かび上がる。教材がお粗末なのだ。
いや、これは言葉が過ぎた。立派な教材を持っている企業はもちろんたくさんあることは承知している。しかしそんな優れた教材も、マルチメディアの特性をフルに活かした作りなっているかというと、これはもう私の見るところ「ほとんど不合格」である。遠隔専門に7年以上、4000時間以上のコンテンツを作って、実際に経営者や管理職の人々を対象としたマネジメント教育をやってきた経験から言えることは、ほとんどの提供者が遠隔と集合の特性の違いを理解していない、ということである。
インターネットの世界の特長は文字も画像も音声も自在に扱えるサイバー空間がある、ということである。また、双方向性が担保されている。一方的に教える“放送大学”ではない。また、日本の通信教育では郵送で添削、という形態であるが、それとも違う。さらには、クラスの討議の長さを自在に変えることが出来るので集合教育みたいに時間や場所の制約がない。
一方、遠隔では講義を見ている瞬間は一人、という場合が多いので、励み、とか、刺激、に乏しい。アメリカあたりでも、クラスにカメラを持ち込んだだけの制作をしたのでは15分くらいで眠くなり、続かない。また、自分の時間配分がクラスの他の人に比べて多いのか、少ないのか、などが分からないために、やりすぎ、サボりすぎ、が多発し、一年後に続いている人は15%という悲惨な統計もある。こうしたことを克服するにはコンテンツの制作や進行上の工夫が必要だ。そうしたことを工夫することによって、集合では得られない多くのメリットを享受できるようになる。さらには集合とは比較にならない学習効果もでてくるし、リズムさえつかめば継続し、能力、スキル、見識、ひいては集団における発言能力、説得能力などが目に見えて身についてくる。
想像してみて頂きたい。以前と同じ紙ベースの教材を、ほとんどそのままネットワーク上に公開して、さあ勉強してくださいといったところで、いったい誰がやる気になるだろう? それとも、優れた教材であればメディアは問わないはずだとでもいうのだろうか。集合型教育は出席を「強制」できるが、eラーニングは「自発」である。となれば受講側のモチベーションを維持し向上させる仕組みも不可欠であるはずだが、そういう細かな部分にまで目が行き届いている例も当然少ない。
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