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「産業突然死」の時代の人生論

おとなしい日本人の国民性は教育に原因が
生徒が自ら考えることを支援する教育が必要

 結局、長年の日本の愚民政策によって、みごとに“考えない国民”になってしまったのだろう。偏差値教育もその1つで、自分の能力は自分が考えるべきなのに、「君の能力はいくつだ」と上から言われてしまうと、本人も言われたことに“予定調和”して「自分はこの程度」と思ってしまう。「この学校は無理だ」と学校や塾で繰り返し言われたら、自分が受験したくても受けられない。親も同じように安全圏の学校を勧める。

 若い頃にこうした“調教”を受けたからこそ、世界でも非常にまれなおとなしい国民になってしまったのだとしか思えない。意欲的に人生を切り開いていくような人間を育てたいのなら、「自分はこれをやりたい」「自分の人生をどうしたい」といった願望を生徒から引き出すような教育が本当は必要だし、そのためには「自分で努力しなさい。きっと君の望みはかなうから」「君にやる気があるのなら、ヒントをあげよう」というように周囲が励ましと支援を与えてやらないと、この国はよくならない。

 教師の役割は生徒の能力を判定することではなく、潜在能力を引き出すことが仕事であるはずだ。しかし、指導要領を読むだけの教師にはそのような能力はまったく備わっていない。そもそも、教師が生徒を教える、ということ自体、21世紀では基礎課程の教育以外では成立しないだろう。

 21世紀のサイバー社会に大きく転換しつつある今、「答え」が必ずしもあるわけではない。先進国に追いつけ追い越せ、の時代は「お手本」「答え」が確かにあった。今はそうではない。人間の「才能」が再び問われる時代となっているのである。「才能」とは優れて個人の持つ潜在力であり、それは年齢に関係ないものだ。従来の工業社会では先に生まれて経験を積んだ人間が先生になれたが、今はそうではない。ここに“型にはめる”ことを主目的とした古い教育システムから抜け出せず、新しいものを生み出せない日本の教育の深刻な問題点があるのだ。

 答えのない世界では、新しいことにトライして、試行錯誤していく能力が問われる。「リスクを取る」ということが、正解への唯一の道となる。リスクを軽減しながら、答えがない危険な道を歩むことが、成果を出すための当たり前の方法となるのだ。しかし、そもそも学校の先生になる人は、リスク回避型の人が多いように思える。学校を卒業する時に「教員免許をもらったら一生安泰」と考える人は少なくないのではないか。

●「先生」も全入時代が近づいている 公立学校教員の受験者数と採用者の推移

 先生は「先に生まれた」と書くが、経済原論などがこれだけ変わると、先に生まれたからといって教えられる時代ではない。「teach」には「答えがある」という前提がある。だから、先に生まれた方が答えを知っていれば教えてやる――これが「teach」の意味するところだ。答えがあるものを「teach」するのだから、裏返せば、答えがなければ「teach」できないということだ。

 ところが、とりわけ北欧の国々ではその概念は教育においては間違いだと考えており、むしろ生徒が「learn」するのを助けるのが教師の役割であるという認識である。これは、「エンパワーメント(能力開化)」という概念に結実し、次第に欧米の教育理論の主流になりつつある。日本でも福祉の世界には取り入れられつつあるようだが、教育の世界は遅れをとっている。

 今の世の中は答えのない時代。つまり、ストレートな答えをくれる人などいないのが当たり前だ。だから「先生」ではなく、あくまでも「教師」であり、かつその教師の唯一の仕事は「生徒が学び、そして考えるのを助けてあげる」ことだ。そのためには、生徒が疑問を持った時にどうやって答えに至るかを側面支援してあげること、答えに至るまでの感動と興奮を生徒と分かちあうことが欠かせない。そして、教師の最も大切な役割は、これが答えに至る道ではないか、という仮説を検証しながら未踏の道を進む、その「勇気」を与える仕事へと変わっていくだろう。

 日本人の集団IQを改善したいと思うなら、今の先生の教員免許に時効を設け、21世紀には不適応な「先生」を、21世紀仕様のプロフェッショナルな「教師」と入れ替えていくという、途方もなく困難な仕事を、今始めなくてはならない。

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