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書評

声を上げて汚職を告発したら警官隊が突撃してきた

 中国ではさまざまなトラブルがあった場合、より上級の行政組織に訴え出るのが一般的だ。これを「上訪」という。

 著者が左長錘に会ったのは、成都の「“上訪”者用簡易旅館」だった。このことから、我々は四川省の省都である成都に、上訪の者専用の旅館がビジネスとして成立するほど、上訪者が多いことを知ることができる。

 著者は本書で、そんな上訪者の一人にもインタビューを行っている。2002年4月30日に、著者は四川省蓬安県・中尉村の農民、謝民(シェー・ミン)に話を聞いている。彼は、地元の汚職を告発し、権力から意趣返しを受けて濡れ衣を着せられた知人、闕定明の嫌疑を晴らすべく、成都を訪れていた。インタビューの場には闕定明本人がいるはずだったが、著者曰く「突然また逃げてしまった」。

 闕定明には、なにか逃げねばならない理由があったのだろうと想像させるところから、インタビューは始まる。

 謝民は、いきなり「おらたちは何十名の新聞記者からインタビューを受けただ。自分から進んで中尉村に取材に来た記者さえいるだ。みんな、ありのままに実情を伝えると言っていたけれど、まだナシのつぶてだ」とマスメディアへの怒りをぶつける。我々はこのことから、中国で自由な報道を希求するジャーナリズムが育ちつつあることと、ジャーナリズムへの抑圧が存在するらしいと知ることができる。謝民は「中央に訴えたって、農民を抑さえ込んで搾りとって貪る役人たちは、今でも現役バリバリだ。権力を笠にいばりちらし、民百姓を押さえつけてるだ。裁判ってやつは、時間が長引けば長引くほど、やつらに有利になってる。」(本書 p.328)と嘆く。

 続けて彼は、自分の村で何が起こったかを語る。

謝民: (前略)紀元1998年4月14日の午前、空はスカッと晴れわたっていた。ところが、そんな空の下で、なんと百名あまりの完全武装の公安警察と武装警官隊がパトカーに乗り込み、おらたちの長梁郡に突撃してきただ。道をぜんぶ封鎖し、周囲を水に囲まれた中尉村をはさみ撃ちにしただ。こいつら、盗賊のような武装警官隊の総指揮は蓬安県の『父母の官』という孫明君県長だった。
老威 :君たちは普通の農民に過ぎないのに、どうして県長の逆鱗に触れたんだい。
謝民 :“上訪”したり、帳簿の検査をしたんで報復されただ。(本書 p.329)

 中国の地方行政は、まず省があり、その下に県がある。県長は、日本で言えば市長とか町長といったところだ。つまり、市長が自ら警察の指揮を執って、自分に逆らった村に突撃をかけてきたわけだ。

 中尉村の村民が、帳簿の検査に至った理由は県に支払う人頭税にあった。中国では、農村部の住民に人頭税、つまり人一人あたり定額の税金が課せられる。1996年、人頭税が年間60元からいきなり170元に引き上げられた。

 著者はこの急な税の引き上げを、「上に政策あれば下に対策あり」と読み解く。1997年、中央政府が農民に掛かる税負担の上限を定めた。中央政府の政策は、まず共産党内に知らされてから一般に知らされる。つまり、中央政府から共産党のラインで新しい政策を知った官吏が、その政策が公布される前に駆け込み的に税の値上げを行ったのである。

 これに反発した中尉村の闕定明らは、法に従って県の税収の帳簿の公開を要求した。法の下の平等を求め、“上訪”を繰り返し、県と交渉を重ねた。帳簿の公開を渋る官僚も、渋々公開に応じざるを得なくなった。帳簿の公開が始まった途端、さまざまな問題が発覚した。帳簿に記された数字には、県長など官吏による巨額の汚職の痕跡が歴然と残っていたのだ。

 その途端、帳簿の公開が強制的に停止され、中尉村に警官隊が突撃してきたのである。

謝民 :(前略)警官隊は二手に分かれ、一隊は郷の映画館を包囲し、だまされて連れてこられた村民代表の闕定明、呂長君、謝自為を殴り倒し、両手を後ろ手に縛り、十数丁の自動小銃と拳銃を頭に向けながら、ひとしきり殴る蹴るの暴行をくり返した。

 さらに、三人は後ろ手に手錠をかけられて自動車道路に引き立てられた。その場に居た数十人の農民は、肝をつぶして、あちこち逃げ回りながら、叫んだ。

『捕まえられるぞ!共産党に捕まえられるぞ!』

 蘭副書記が威嚇射撃を命令し、吠えた。

『本日、秘密指令により、公務執行妨害を犯す者は、この場で処刑する。やれば、やるだけ殺すぞ、命令を聞かねえ者がいたら、まず殺し、その後で報告だ!』(本書 pp.333~334)。

 かつて毛沢東の指揮する共産党は、農民の支持を得ることにより国民党との間の内戦を勝ち抜いた。農民の「共産党に捕まえられるぞ!」という言葉から、すでに地方の共産党組織がかつてのような信頼を失っていることが分かる。

 警官隊は、パトカーで田畑に突っ込んで農作物を踏みつぶし、各戸を蹴破って誰彼なく暴行を加えた。

 闕定明らは、さんざんな拷問を受けた後で、強制的に罪を認める供述書に署名させられた。1カ月後、闕定明以外の者は、保証人を立てることで釈放されたが、釈放には以下の条件が付いていた。

一、外部に事件の内容をしゃべらない
二、親戚や友人と付き合わない
三、上訴しない」

 これらを破ると再逮捕、罪は一段上に引き上げられると脅された。

 闕定明は、「衆をなして社会秩序を攪乱した罪」で起訴された。裁判は揉めた。怒った農民らが裁判所に詰めかけ、包囲したからだ。闕定明の弁護人は法に従い無罪を主張し、検察を追いつめた。しかし無駄だった。

謝民: (前略)午後三時過ぎになり、裁判官はあらかじめ用意したお役所式の決まり文句で宣告しただ。『闕定明に懲役4年の刑を言い渡す』
老威: 理由は何ですか?
謝民: 前にも言ったとおり、1998年2月20日に帳簿を検査したからさ。(本書 p.338)

 とにもかくにも裁判が機能し、農民のために立ち上がる弁護士も存在し、法の下の平等を実現しようと努力していることが分かる。と、同時に、少なくとも1998年の段階で四川省の田舎では法律よりも地方権力者の都合が優先されていたということも。

 成都に上訪に来た謝民は、怒りを著者にぶつける。

 この道のりは、どんなに長くても、最後まで歩きぬいてやるだ。最後は“盲流”(家を亡くして漂泊する人々のこと)か乞食になってもいいだ。家と土地を失っても、農民にはこれ以上奪われるものなんてありゃしねえ。投獄するなり、ぶち殺すなり、好きなようにすりゃいいだ。(本書 p.339)

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