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書評

病を恐れ、人を生きたまま焼き殺す

 2005年年末に雲南省の農村で行われた張志恩(チャン・ジーエン)へのインタビューでは、農村部の絶望的なまでの無知が引き起こした悲劇が語られる。

 張志恩は貧しい農民だった。若いときに原因不明・病名不明の病気になる。全身がかゆくなる病気だったが、村人はそれがハンセン病であると決めつけ、恐れ、張をハンセン病専門の病院に放り込んでしまう。別にハンセン病にかかっていたわけでもない彼は、退院が許されることもなく、ハンセン病専門の病院で何年も炊事の仕事を担当していた。

 やがて「いつまでも病院にハンセン病でない者を置いておくわけにいかない」と、退院になった彼は故郷に戻るが、すでに自分が耕すべき田畑はなくなっていた。ハンセン病の病院帰りということでひどい差別を受けた。彼は彼同様にハンセン病と誤診され、強制的に入院させられていた女性と結婚し、彼女の持っていた田畑を耕して暮らすようになる。

 その後、妻がまた病気になる。ハンセン病の症状ではなかった。しかし村人はハンセン病をまた発病したと誤解し、恐れ、ついには病気に苦しむ彼の妻を生きたまま焼き殺してしまったのだ。

 “無実”の女性を焼き殺すことを、誰もが、村を守る正義の行為と思い込んでいる。もちろん公権力も介入しない。それどころか、張志恩は妻を焼き殺されたにもかかわらず、通常の葬儀のように村人に対して食事を振る舞わねばならなかった。

張志恩: (前略)村長が村人を連れて、おらの家に来て、飼っていたブタを殺した。梁にかけていたベーコンも取られた。まだ、女房を焼いたところから煙が出ているうちに、数十メートルしか離れていねえところで、土のかまどを二つ作って、大きな鍋をかけて、一つでは肉を煮て、もう一つではめしを炊いた。空がまだ暗くなっていないうちから松明をつけて、みんなどんぶりを持って、鍋のまわりに集まった。
老威: 村全体で、どれぐらいいましたか。
張志恩: 三十数世帯いて、一世帯から働き盛りの男一人が食べに来た。

 悪夢のような光景だが、村人にとっては生活を守るための当たり前の行為だったのだ。

 著者は張に対して、何度も「それはいつのことか」と問いただすが、きちんとした教育を受けていない彼は、時間の認識があいまいだ。妻が焼き殺された事件についても「10年ぐらい前だったか」としか話すことしかできない。

 我々にはっきりと理解できるのは、1995年ころになっても、雲南省の農村では、ハンセン病に対する差別から、患者と疑われた者が村人によって焼き殺されるというような状況だったということである。

 ハンセン病は、体が崩れていくために近代以前は非常に恐れられた病気だ。日本でも患者を専門病院に隔離し、閉じ込めるという非人間的政策が第二次世界大戦後に至るまで実施されていた。しかし、実際には感染力は非常に弱く、治療法も確立している病気である。張の村にも医師が入り、病気に対する正しい知識を伝えようとしている。

 しかし村人は依然として、ハンセン病を、大蠱龍という毒蛇ののろいであると信じている。張本人も例外ではない。

張志恩: 女房が死んだあと、あいつが縫い上げた新しい布団を捨てるのが惜しくて、ついそのままずっと使ってただ。思いもかけなかったけんど、ある夜、おらは悪夢を見ただ。茶碗ぐらい太え毒ヘビが強く巻きついて、息ができなく、ナタで切ろうといても、腕が痛くて切れなかっただ。(中略)夜が明けると、布団を引っぱりだして、畑の横で燃やしちまった。どうなったと思う? 布団から、なんと、油がしみだしてきて、肉が焦げる臭いもしたもんだ!(中略)
老威: 大蠱龍を焼き殺したのですか?
張志恩: 邪悪なまじないをかけられた布団を焼いただ。(本書 p.64)

 妻を焼き殺されただけではなく、迷信にとらわれて、妻の形見を自らの手で焼いてしまうとは‥‥無知と迷信とが、途方もない悲劇を生み出す例が、ここにはある。

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