死の見せしめ以外に、中国を治める術はあるのか
最後に、本書の内容とかなり離れた、個人的な感想を――。
わたしは学生時代の1986年、中国を1カ月ほど旅行したことがある。学生の貧乏旅行であり、相当ひどいところでも食事をしたのだが、その時、偽装されたとんでもないものを食べた記憶はない。どんなに安い食事でもうまかったし、本物の味がした。
雲南省の奥地で出会った、筋金入り日本人バックパッカーは、にこにこしながら白酒(中国の焼酎)を飲んでいた。「こっちの酒はいいですよ。日本と違ってまぜものがない」と言っていた。アルコール添加や三倍醸造の一方で、純米酒が酒税法上非常に造りにくく、日本酒の評判が落ちるだけ落ちていた時期の話である。
改革開放政策が軌道に乗り始めたあの時期、中国の食は貧しくはあったがひどくなかった。つまり、それ以前の共産中国では、食品偽造など問題になってはいなかった。貧乏旅行者が食べる末端の食事にまで、かなりしっかりとした秩序があったのである。
実のところ本書を読み終え、学生時代の中国旅行を振り返って、ひしひしと感じるのは、共産中国を作り上げた毛沢東という政治家の特異性だ。
一億人近い餓死者を出したという大躍進政策や、多くの犠牲者を出した文化大革命など、毛沢東の政策にはどれも大量の死がつきまとっている。それは近代的思考からすれば忌むべきものだが、もしかして人民に強いる大量死こそが中国を治める要諦だったのではないか。なにしろいくら死んでもかまわないほどに、中国は人であふれている。
焚書坑儒を行った始皇帝のように振る舞うことこそが、中国を末端に至るまで治める術であると、毛沢東は考えていたのではないかという気がするのである。
わたしが旅行した1986年の中国で、食品偽造に出会わなかったのは、その前何十年にもわたって、毛沢東が大量の死をもって、中国人民に見せしめを行ってきたからではないか。天安門事件も、その流れの上にあったと考えれば理解できる。あそこで軍隊を入れて殺戮を行ったからこそ、中国は治まっているということになる。でなければ、あの活気にあふれ、現世利益志向で、身内の団結が強く、お上をものともしない漢民族が、おとなしく統治されるはずがない ―― そう感じるのである。
だが、情報化が進んだ今、近代化を進める中国にとって「殺すことで治める」方法はもう使えないだろう。やってしまえば、あっという間に世界中に情報が伝わり、中国の国際的な立場を危うくする。
この先、中国はどのようにしてあの無秩序に活気溢れる民族を統治していくのか。人口が多いだけに、その成否は世界全体に影響することになるはずだ。
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