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書評

三つの組合と、マル生運動

 国鉄民営化の成否を握るのは、意見を異にするエリートたちのぶつかり合い(宮廷革命)だけではなかった。

 いざ民営化が既定路線となると、複雑に入り組み、経営に影響を与えるほどの力を持っていた労働組合をどう扱うかが焦点となる。つまり「啓蒙運動」の部分である。本書の第2章から第4章までは労務対策の記述に割かれている。

 国鉄には三つの労働組合が存在した。国鉄労働者組合(国労)、国鉄動力車労働組合(動労)、鉄道労働組合(鉄労)である。

 日本の敗戦後の1946年、いち早く組織されたのが国労だ。当初はほぼ全職員を組織した組合であったが、1951年に国労から運転関係職員が分裂して動労が設立された。機関車運転手、機関助手など運転関係職員は、国鉄の中でも「自分たちがいなければ列車は動かない」というエリート意識を持っており、同時に特殊技能を必要とする職種でもあることから、独自の連帯意識を持っていた。

 鉄労は、国労が1950年代後半にストライキを多発させたことから、反発した穏健派が分裂して結成した組合だ。

 国労は主に社会党支持で総評に大きな影響力を持っており、一方鉄労は民社党というようにそれぞれ支持政党や支援勢力が異なっていた。また動労は職能別組合として、どんどん先鋭化した運動を展開するようにより「鉄の動労」とその組織力、団結力を誇る組合となっていった。

 著者はその中でも二つの要因が、国鉄の労使関係のアキレス腱となったと指摘する。労働者にスト権が与えられていなかったこと、そして国鉄経営陣に賃金の決定権がなかったことだ。

 労働組合は労働者自身が自らの権利を守り、経営者に対して主張をぶつけるための組織だ。その権利は法的に守られている。

 しかし、国鉄労働者の場合、他の業種と異なる問題が存在した。国鉄は、日本電信電話公社(電電公社、現NTTグループ)、日本専売公社(現日本たばこ産業;JT)と共に、公共企業体という特殊な組織形態をとっており、その労使関係は公共企業体等労働関係法(公労法)という法律で規定されていた。

 公労法は、労働者の基本的権利のうち、団結権と団体交渉権を認めていたが、団体行動権、すなわちストライキの権利を認めていなかった。公共性の強い職種は、権利よりも公共の福祉が優先するという論理である。

 国労、動労は、このことを問題として、1960年代からさまざまな闘争を繰り広げた。「順法闘争」という言葉を覚えている方も多いだろう。ストは違法行為なので、職場で安全確認などを名目に、通常よりもゆっくりと列車を走らせ、ダイヤを混乱させるという闘争形態だ。通常の安全規則を厳密に解釈すると、円滑な業務遂行が難しくなることを利用したわけだ。

 1975年にはスト権を求めて、違法行為であるストに突入するという「スト権スト」も発生した。

 労働者にスト権が与えられていないことへの救済措置として、国鉄経営陣は賃金の決定権を奪われていた。国鉄職員の賃金は公共企業体等労働委員会(公労委)という公的組織にあったのだ。

 著者は、この二つが、職員に対する経営の威信を傷つけ、労働運動を一層先鋭化させたとする。経営が賃金を決められないなら、労働者側が、経営を軽く見るのは道理である。

 「賃金が経営状態と関係なく、民間企業の水準を参考にして他動的に定まる慣習が定着するにつれ、国労・動労の運動は『賃金獲得』ではなく『勤務の緩和』を成果とする方向に動いた。金がルーズになり、効率が悪ければ悪いほど組合員の数は増加し、組合費は潤沢となる。賃金は経営が良くてもそれを反映して増えることはなく、悪化しても減少しない。国鉄が浮沈艦ならば非効率こそ組合の利益である。」(本書p.58)

 組合運動の先鋭化には、このような民間企業では考え難い労使関係に加えて、1969年以降のマル生運動の挫折という経緯が関係してくる。1969年、当時の磯崎叡総裁は赤字脱却を目指して「生産性向上運動」(マル生運動)という職員の意識改革運動を始めた。

 ところが複数の組合が共存していた現場では、この運動が、職員に対して先鋭的な組合から穏健な組合への移籍を迫る動きへと変質してしまった。職場は、同時にさまざまな人間関係が絡み合う場所でもある。職場の上司から「組合を移れ」と迫られる職員が続出し、ついには自殺者も出る事態となり、現場は混乱した。

 1971年に入り、「組合を移れと説得することが不当労働行為に当たる」という見解が裁判所から出たことから、磯崎総裁は陳謝し、マル生運動は崩壊した。

 この結果、各組合は態度を硬化させると同時に経営に対する対決姿勢をより鮮明にし、ついにはスト権ストを打つところにまで行ってしまったのである。

 要するに、国鉄民営化前の労使関係は「無茶苦茶」の一言に尽きる状態だった。国鉄民営化前夜、事業収入の8割以上が人件費として支出されていた。民営化にあたっては余剰人員の整理が必須だった。しかし、交渉する相手は三つに分かれ、しかも過去の経緯はもつれるだけもつれていたのである。

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