過剰なコマーシャルの裏に何がある?
もう一つ、消費者として感じることがある。「テレビコマーシャルを打つには資金が必要」ということだ。
消費者金融業界は、イメージアップを目指して、テレビ放送に大量のコマーシャルを流し続けた。レオタードの女性が踊りまくる武富士のコマーシャルは、ほとんどの人が覚えているだろう。
武富士は、コマーシャル単価の安い深夜帯を中心に、怒とうのようにコマーシャルを流して認知度を高めた。その後、認知度が上がるのと連動して、コマーシャルもゴールデンタイムへと進出していったのだった。
本書には、アイフルが流していたチワワを使ったコマーシャルのエピソードが出てくる。コマーシャルが評判になって、チワワの価格までもが急騰していたさなか、アイフルは近畿財務局から業務停止処分を受けた。そのあおりを受けて、チワワの子犬の価格が急落したという。
それほどまで大量のコマーシャルを流すには、相応の資金が必要だ。ここに、わたしたちが報道以前に消費者金融の実態に気付くきっかけが存在した。すなわち「消費者金融って、コマーシャルを大量に流せるほどもうかるの? もうかっているとしたらなぜもうかっているの?」ということである。
常識で考えよう。大量のコマーシャルを打っている消費者金融はもうかっている。これは事実だ。消費者金融は、金を貸して金利でもうけている。
金利でもうけるなら、もうけは金利によって決まる。金利が高いほどもうかるが、あまり高いとそれなりにリスクのある客しか借りなくなる。消費者金融がもうかっているということは、貸し倒れリスクのある客から確実に回収しているということであり、ということはそこでなんらかの無理をしているか、なんらかのずるいことをしているのではないか――ごく当たり前の論理をほんの少し積み重ねるだけで、このような結論に行き着く。
テレビ放送を見てみると、今も怒とうのようなコマーシャルを打っている企業がいくつも存在する。なかには初期の消費者金融と同じく、深夜帯を中心に大量のコマーシャルを流しているところもある。
そのようなコマーシャルを流す業種の中には、「この業種って、そんなにもうかるの?」と疑問に思えるところも少なくない。実際に問題を起こしたところもある。英会話学校のNOVAは大量のテレビコマーシャルで業績を伸ばしたが、現在途中解約を巡ってトラブルを起こし、今年6月、経済産業省から新規契約について業務停止処分を受けた。
CMを制作し、15秒なり30秒のスポット枠を購入して放送するにはそれなりのコストがかかる。そのコストは、本業の利益から捻出されるわけだが、もしも企業がそのコストを本業にかけていたならば、より良質の製品なりサービスが消費者に届いていたはずだ。
もちろん良質の製品もサービスも、消費者が存在を知らなければ購入されることもない。資本主義社会でコマーシャルは経済活動に必須ともいえる。しかし、過度のコマーシャルは、業態か企業戦略かに、歪みを抱えている可能性を示唆していると言ってよいように思える。
この考え方を敷衍(ふえん)すると、将来的に消費者は、大量のコマーシャルを打っている会社の製品やサービスを避けて、広告コストを製品やサービスに振り向けている会社を探すという方向が見えてくる。
実際問題として集中的なコマーシャルによる大量消費社会は今も続いており、そう簡単に消費者が変わるはずもないだろう。しかし、ネット広告と検索という代替手段が存在するのが現代である。テレビコマーシャルの価値も再考が必要となる時期がいずれ来るのではないだろうか。
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