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書評

家庭の支えを失った障害者は刑務所へ“捨てられる”

 結局のところ、我々が社会を営む上で、障害者の存在は避けられない。先天性障害者は遺伝の仕組みの中から不可避的に一定割合が生まれてくる。後天性障害者は、それこそ運次第だ。そういう人々は、社会が全体として受け止め、やわらかく抱え込んでいくしかない。

 だが、この資本主義社会で、生産性において健常者に劣る障害者は、それだけで社会組織のマイナス要素として排斥されることになる(特に小泉内閣は、「障害者自立支援法」という美しい名前の法律で、障害者の社会からの排除を推し進めた)。

 そのなかでも知的障害者の問題は深刻だ。「常識が通用しない」「空気が読めない」「いくら説明しても理解できない」「望んだように行動してくれない」そしてなによりも「善悪の判断が定かではない」――これらは容易に「なんだか気味が悪い」という差別意識に変化する。我々の「そんな連中は見たくない。そんな連中などいない」という意識が、障害者たちを犯罪へと押しやり、結果として塀の向こうの目に見えないところへと追いやっていく。

 本書の終章では、刑務所の矯正行政が、障害者福祉へとシフトしようとする姿が描かれている。福祉行政は犯罪者を忌避できるが、刑務所はたとえ障害者だからといって受刑者を避けることはできない。

 それは前進ではあるが、本当に良いことなのかどうか、著者は疑問も投げかける。刑務所の福祉が充実してしまうと、障害者への実刑判決が増加し、障害者の刑務所への流入が増えるのではないか、と。刑務所が一種のうば捨て山になるのだ。

 もちろん多くの場合、障害を持つことが犯罪に結びつくことはない。家庭と社会が障害者を支えるからだ。しかし本書に描かれるケースの多くでは、障害者をまず最初に包み込むべき家庭が崩壊している。現在の日本社会で、家庭の支えがない状態で、社会の支えは有効に機能しない。

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