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書評

死を見据えた生き方へ

 ごく当たり前のことだが、誰もがいつかは死ぬ。死によって本人の意識がどうなるかはさておいて、火山の火口にでも飛び込まない限り、確実に死体は残る。この当たり前のことを常日ごろ、わたしたちは忘れている。

 しかし、突然死という形で日常に飛び込んだ死体は、否応なしにわたしたちに現実を知らせる。「おまえも死ぬ。死ねば死体になり、放置すれば腐敗し、悪臭を放ち、崩れていくのだ」と。

 本書は死を扱っているにもかかわらず、宗教に関する記述は一切出てこない。宗教は死ぬ本人と、生前を知る関係者のためのものだ。後に残った死体を処理し、遺品を片付ける者には、宗教の代わりに殺虫剤、消臭剤、洗剤、防護服などが必要なのである。

 これは強烈なリアリズムだ。祈るだけで悪臭は消えない。祈るだけで、うじ虫がいなくなるわけではない。手を動かし道具を使うことによってのみ、後片付けができる。

 仏教画には時折、死体が描かれることがある。腐敗し、風化して最後に骨だけが残る過程を1枚に描き、無常を表現するのだ。おそらく、近代以前でも人々は日常の中で死から目をそらしていたのだろう。だからこそ、宗教は、一見グロテスクな絵画を描いたのだ。キリスト教にも「死を思え(メメント・モリ:Memento Mori )」という言葉がある。

 しかし、「忘れるな」と言葉や絵画で主張することと、実際の死体に直面し、後片付けすることとの間には、大きな隔たりがある。現実の死体は、片付けなければ、生きている者の生活が立ち行かないのである。

 だからこそ、我々は「自分のことは自分でする」という自立の精神の延長線上に、「自分の死後に、自分で片を付ける」という意志を持たねばならないのだろう。

 本書には、「今、自分は元気だからこそ、今のうちに契約しておきたい」として、著者の会社と死後の遺品整理の契約をする老人の話が出てくる。この人は、より一層アクティブに生きるために、契約を望んだのだろう。それは、自分の現実を実感に満ちて生きるための手段なのだ。

 メメント・モリという言葉には、「死を意識することで生を充実させよ」という意味がある。その意味で、本書は単なるのぞき趣味を超えた、重いテーマを含んだ本である。

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