松浦 晋也氏
2006年9月15日
「サイボーグとして生きる」
マイケル・コロスト著
椿正晴訳
ソフトバンククリエイティブ
2006年7月発行
1890円(税込み)
消えた「サイボーグ」という言葉
あなたは「サイボーグ」という言葉で、何を思い出すだろうか。
石ノ森章太郎のマンガ「サイボーグ009」、米国のテレビドラマ「600万ドルの男」、少しマニアックな人なら平井和正のハードボイルドSF小説「サイボーグ・ブルース」かも知れない。
この言葉が米国の研究者によって提唱されたのは1960年のことである。Wikipediaには「サイボーグ (cyborg) とは、サイバネティック・オーガニズム (Cybernetic Organism) の略で、人工臓器などの人工物を身体に埋め込む、体機能の重要な部分を電子機器などに代行させる、などの方法で、身体機能の補助や強化を行った人間のこと」と出てくる。
身体の一部を機械で強化し、驚異的な能力を得るというコンセプトは1960年代から70年代にかけて、フィクションの世界で流行した。「サイボーグ009」は1964年からマンガ雑誌での連載が始まっている。「サイボーグ・ブルース」は1971年の出版。そして「600万ドルの男」は本国で、1973年から78年にかけて放送された。ちなみに1972年にはタカラが「変身サイボーグ1号」という男の子向け人形を発売し、大ヒットとなっている。
機械、すなわち科学技術で身体を強化した「サイボーグ」という概念は、1960年代から70年代にかけて、人々を魅了したのだった。それは、民話に出てくる様々な変身譚の変形だったのだろう。おとぎ話ではない、科学技術が実現する、変身願望の充足というわけだ。
ところが、最近あなたは「サイボーグ」という言葉を見聞したろうか。おそらくないはずだ。
フィクションの世界でも「サイボーグ」という言葉は廃れてしまった。コンセプトとしてのサイボーグを扱った作品がなくなったわけではない。21世紀に入ってから製作されたアニメーション「攻殻機動隊SAC」シリーズの主人公、草薙素子少佐は全身を機械化したサイボーグとして設定されている。しかし、本編中にサイボーグという言葉は、ほとんど――私がきちんと確認したわけではないのだがおそらくは全く――出てこない。
なぜサイボーグという言葉が使われなくなったのか。一つには、サイボーグという言葉が使われ過ぎて新鮮さが失われたためだろう。しかし、もう一つ大きな理由があるのではないだろうか。
医療技術の進歩の結果、サイボーグと呼びうる人々が現実社会のなかで生活を始めているのである。
本書は、聴覚障害のため、人工内耳を頭蓋内部に埋め込み、「サイボーグ」としての生活を始めた著者が、その経過をつづったものだ。聴覚を補強するといっても、「サイボーグ009」に出てくる003ことフランソワーズ・アルヌール嬢のように、超人的な聴覚を得たわけではない。人工内耳で得られる聴覚は健聴者以下である。しかし、これはまぎれもなくサイボーグ技術だ。一体、サイボーグとして生きるということは、どんな体験なのだろうか。
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