誰でも便利に使える技術こそが世界を変える
胸が悪くなるような、世界の惨状。しかし、取りあえず倫理的判断を停止し、ひたすら冷静に本書を読んでいくと、非常に重要な事実が浮かび上がってくる。
「巨大でものすごい技術であっても、多くの人々が便利に使えないものならば世界を変えない。どんなにローテクで粗末であっても、誰もが便利に使える技術こそが世界を変える」ということだ。
核兵器とカラシニコフ自動小銃とが、好例と言えるだろう。どちらも「国を守る」という名目のもとに開発された。名目はともあれ、その目的は共に破壊だ。
核兵器は国家が膨大な投資を行い、完成させた。だが核兵器はあまりに大きな破壊力故に、使ってしまったら人類絶滅に至るかもしれない、実際には使えない兵器となった。米ソが世界を二つに割って対立した冷戦の根底には、「お互いにお互いを破滅させるに足る核兵器を保有しているから、お互いに核兵器を使えずに平和が保たれる」という、相互確証破壊の概念が存在した。つまり核兵器は、「世界を変えない」ためにその存在自体が使われたのである。
一方、カラシニコフ自動小銃は、ミハイル・カラシニコフという一人の技術者が、核兵器よりもはるかに低コストで完成させた。それは、破壊という目的に対して、「少女ですら人を殺すことを可能にする」ほどに便利だった。なによりも安く、誰でも使えた。カラシニコフ自動小銃を持つことで、誰もが人を殺す能力を手に入れることができた。だからこそ、カラシニコフ自動小銃は世界を変えることができた。もちろん、悪い方向にではあるが。
このような対比は、ビジネスの様々な分野にも存在してはいないだろうか。やや専門的になるが、OSIの6層プロトコルに基づいた通信アーキテクチャの失敗と、インターネットのTCP/IPプロトコルは、まさにこの対比で語れるのではないだろうか。巨大なオーディオセットを道楽者の領域へと駆逐してしまったウォークマンはどうだろうか。巨大な中央コンピューターと、パソコンはこの例に入るのではないか。
あるいは第二次世界大戦後、日本は様々な国家的技術開発プロジェクトを立ち上げたが、ものになったものはほとんどない。「YS-11」旅客機、原子力船「むつ」、高速増殖炉「もんじゅ」、サンシャイン計画にシグマ計画に第五世代コンピューター、短距離離着陸機「飛鳥」に「スーパーテクノライナー」などなど。その根本には、いたずらに国費を使ってハイテクばかりを追いかけ、誰もが便利に使えるものを作るという視点が欠如していたように思える。
同じ世界を変えるなら、より良い方向に変えたい。その場合にもカラシニコフ自動小銃が示した「いたずらにハイテクを追うのではなく、構造が簡単で生産が容易。誰もが便利に使うことができる」というコンセプトは有効なのではないだろうか。
実は現在、筆者は、まさに行き詰まりつつある、国家による巨大投資で作られたプロジェクトを二つウォッチングしている。スペースシャトルと国際宇宙ステーション(ISS)だ。
スペースシャトルは、2003年2月の「コロンビア」空中分解事故の後、昨年7月に飛行を再開したが、再度トラブルが発生して、また1年運航が停止した。日本時間の7月2日に、次のシャトル「ディスカバリー」が打ち上げられるが、運航再開にあたっては内部の反対をグリフィンNASA長官が押し切ったことが明らかになっている。
ブッシュ大統領は2010年9月末で、スペースシャトルを引退させることを明らかにしている。シャトルで建設しているISSは、あと16回シャトルを運航させなくては完成しない。2010年までに16回の運航ができるかどうかは、不透明だ。
共に、「どんなにローテクで粗末であっても、誰もが便利に使える技術こそが世界を変える」という視点を欠いたまま、国家の莫大な投資でハイテク開発に走った結果と言える――そう私は判断する。
真に目指すべきは、「ローテクであっても、安価かつ堅牢で、誰もが手軽に宇宙に行くことを可能にする技術」だったのだ。
本書は、カラシニコフ自動小銃という優れた道具が、世界に与えた影響を克明に描いた。それは悲しくなるひどい現実だ。だが、カラシニコフ自動小銃が示した方向性は、冷静に認めなければならない。
我々は、「良きカラシニコフ」を開発していくべきなのである。
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