このページの本文へ
ここから本文です

夢見れど決して会えない理想の美女
マネキンに見る日本的「記号化」の強み(その2)

2007年4月23日 9時24分

前回は、最近の子供服売り場で異彩を放つアニメ顔のマネキンを例に、日本のものづくりに隠れた「記号化」という強みについて考えてみました。私たちが認知する世界とは、実物を写実的に再現したものではなく、印象的な特徴をデフォルメしたもの。その意味では、アニメ顔に代表される日本特有の「記号化」文化には、ものづくりにおける重要なヒントが隠れているのではないか、という話でした。今回も、この深遠なるマネキンの世界についての話題におつき合いいただければと思います。

日本的マネキンの礎は島津製作所にあり

日本のマネキン業の歴史をひもとくと島津製作所にたどり着くという話をご存じの読者は少ないでしょう。2002年にたんぱく質の解析手法でノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが在籍する、あの精密機器メーカーです。

マネキンが日本に入ってきた1920年代、フランス製の舶来マネキンの修復を手がけていたのが島津製作所の標本部。理科室に置いてある人体標本などを作成していた部署です。その後、人体標本の流れは現在の京都科学に引き継がれ、商用マネキン部門は創業家の島津良蔵さんの肝いりで島津マネキンとして独立、日本独自のマネキンづくりの礎となりました。この島津マネキンが、七彩やヤマトマネキン、吉忠といった現在のマネキン大手に分離していったというわけです。

この話を教えてくれたのは、京都造形芸術大学で教壇に立つ藤井秀雪教授。もともとは七彩の社員で、戦後のマネキン業界のビジネスを実体験した人物です。今は、マネキンの持つ魅力や意味の重要性を体系化して後進に伝える仕事に取り組んでいます。

「日本のマネキンの特徴を論じる際には、まず日本と海外の人形の作り方に根本的な違いがあることを理解しなくてはなりません」。こう藤井教授は言います。もともとは輸入品だったマネキンが、日本で独自に進化したという話は、前回のコラムで少し触れました。写実的に人体を模す西洋のマネキンに対し、日本のマネキンは日本人が最も美しいと感じるように人体をデフォルメし、記号化を追求してきたのです。

ここから下は、関連記事一覧などです。画面先頭に戻る ホームページへ戻る

記事検索 オプション

SPECIAL

日経BP社の書籍購入や雑誌の定期購読は、便利な日経BP書店で。オンラインで24時間承っています。

ご案内 nikkei BPnetでは、Internet Explorer 6以降、 Safari 2以降、Opera 8以降、Netscape 8.1以降またはHTML 4.01/CSS level 1, 2をサポートしたWebブラウザでの閲覧をお勧めしております。このメッセージが表示されているサポート外のブラウザをご利用の方も、できる限り本文を読めるように配慮していますが、表示される画面デザインや動作が異なったり、画面が乱れたりする場合があります。あらかじめご了承ください。

本文へ戻る