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宋文洲:いじめが自殺につながる日本の「空気」
かつて国が主導するいじめを受けた人間の持論

2006年11月2日 10時45分

僕も親です。いじめで子供たちが自殺するニュースを聞いて胸が詰まります。虹色で彩られているはずの世界が真っ暗になり、誰にも頼れないと悟る少女。幼い首に紐をかける彼女の顔は、まだ無邪気さが残っていたはずです。こんな理不尽なことは許されていいはずがないと思います。

無性に怒りを覚えました。僕の怒りは、言い逃れをする先生でも、いじめに参加したとされる子供たちに対してでもありません。自殺してしまった子供に逃げ道を教えない、すべての大人たちに対してです。この環境を変えない限り、悲劇はまだ続くと思うのです。

なぜ頑張らなくてはいけないのですか

岐阜の少女が残した遺書に、すべての大人に対して重要なメッセージが残っていました。それは遺書の最後にあった「もう、何もかも、がんばる事に疲れました」の一言です。彼女の遺書の言葉で、恐らく多くの大人たちは塗り潰されていた4人の同級生の名前に意識や興味が集まっているはずです。しかし、その4人の子供や家族が置かれている現状を考えると、彼らも被害者だと思います。

読者の皆さんのご意見をうかがいたい。皆さんはこの世の中からいじめを無くすことができると思いますか。無くす努力は大事ですが、だからといって無くなるものではありません。病院がいくら増えても病気が無くならないように、人類が古くから行ってきたいじめを根絶することは気の遠くなるようなことです。

子供のいじめは中国の学校にも、米国の学校にもあります。しかし、中国や米国の子供がいじめに遭い、自ら幼い命を絶ったという例を僕は聞いたことはありません。でも、日本では起きている。それは、なぜなのでしょうか。亡くなった岐阜の少女の遺書が答えています。日本は過剰に「頑張ること」を強いるからです。

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